衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2023年05月18日    木曜日     第1開示 合計3941開示

法界不増不減の意味

増減なしという概念には幾つかの意味がある。法界における全ての衆生の如来蔵の総数は増減しない(如来蔵は個数を論じるものではないが、帰属する主体があり共用ではないため、数を以って表現するのは便宜上のことである)。如来蔵の体性・機能・作用は聖者において増えず、凡夫において減らない。如来蔵の七大種子の数量は増減しない。法界の六根も増減せず、法界の六塵も増減せず、法界の六識も増減せず、色受想行識の五蘊も増減しない。なぜなら現象界は幻の如く化の如く、本体性がなく、したがって元より増減したことがないからである。幻のように生じ幻のように滅しても、総じて得られるものではないゆえに増減がない。一切の法は因縁和合によるもので、本来実体がなく、生じたことも滅したこともないゆえに増減がない。

諸法は無生である。大海と波浪を観察すると比較的理解しやすい。波浪は確かに波濤が逆巻き澎湃とし、刹那刹那に変化する。しかし波浪が如何に変化しようとも、それは大海の水である。大海は永遠に増減せず、生滅しない。波浪は生じては滅し、滅しては生ずるが、総体的に見れば波浪は大海において生滅がなく、増減がないに等しい。このように法界を理解することは非常に智慧であり、意識の智慧ではあるが、それでも十分に優れており、観行と実証を導くことができる。

如来蔵は増減せず、意根も増減しない。無量化身、無量の六識身は全て如来蔵と意根に統括される。化身もまた衆生であるが、現象には増減があっても、その本性には増減がなく、本体は増減しない。化身もまた衆生ではあるが、それも意根の報身に統括されねばならない。なぜなら意根の報身は唯一のものであるから、化身もまた増減しないのである。

衆生が衆生たる所以は、一連の道具(八つの識を含み、色身をも含むことができる)を有するためであり、主に意根と如来蔵による。七識・八識を主とし、七識・八識が増減しなければ化身も増減しない。法身は如来蔵であり、報身は第七識の意根であり、化身は前六識である。諸仏菩薩には如何に多くの化身があろうとも、全て法身と報身に依って存在し、法身と報身に帰属する。単独では化身を持つことはできない。化身単独では衆生とは見なされない。自在でなく自主性がないからである。したがって化身もまた増減しない。総じて法界は増減しない。

——生如法師の開示
前へ前へ

なぜ諸法はすべて究竟であり清浄であるのか(二)

次へ 次へ

如来蔵の不生不滅性

ページトップへ戻る