各人が自分自身に関するあらゆる秘密は、一体誰が漏らして他人に知られるようになったのか。私たちが人と接触し、付き合う際には、相手のおおよその情報はその場である程度理解できるが、他人の情報はどのようにして漏れ出るのか。写真を見る時、実際の相手はいなくても、相手の如来蔵が情報を伝える必要はない。しかしそれでも相手の性格、年齢、気性、性質、そして生活背景などを了別できるが、これはどうやって知るのか。亡くなって数百年から数千年経った人でも、髪の毛や歯などのわずかな遺品が残っていれば、神通力を持つ者はそれらの遺品に基づいて、この人物が今どこにいるのか、どのような身分か、五蘊身の状態はどうかなどを把握できるが、これは何に基づいて知るのか。特に仏陀は無量の宿命神通を持ち、各人が無始劫以前に起こした大小の出来事を、最も微細な細部に至るまで全てご存知であるが、仏陀はどのようにしてそれらを了知されるのか。
眠っている時や意識のない昏睡状態でも、五陰の情報は漏れ出る。さらには一枚の写真さえあれば、衆生の情報の全てが漏れ出てしまう。写真は数多くの如来蔵が共同で保持しているものであり、一人の如来蔵だけが保持できるものではない。写真も文字と同じく、相手の如来蔵や五蘊に関わるものではなく、自分自身の如来蔵が写真や文字を内色塵に変現し、意識に智慧があれば、写真や文字に隠された内包を思惟し、分析し、処理できる。智慧がなければ誤った思惟分析を行い、正しくない結論を導き出す。
遺品には持ち主が残した情報が付着しており、如来蔵はその手がかりを辿って、その人物の如来蔵を見つけ出し、相手の如来蔵から全ての情報を把握する。意識が知りたいと思う時、一つは神通力に頼り、もう一つは意根が重要な関連情報に警戒を向けることによる。例えば、ある人物が部屋に滞在した後去り、数時間あるいは半日経ってから蛇がその部屋に入ると、さきほど人あるいは生命がここにいたことを知ることができる。なぜならその人物の一部の情報(温度、匂いなど)がまだ部屋に残っており、蛇はそれらの情報を了別した後、その情報を辿ってその人物を探し当てることができるからだ。如来蔵はあの蛇のように極めて鋭敏で、あらゆることを知っている。あとは意識心の智慧がどうか、意根如来蔵から情報を掘り起こせるかどうか次第である。
如来蔵は全てインターネットの中に存在し、時と場所を選ばずに自らの五蘊身に関する一切の情報を外部に発信しており、少しも保留しない。同時に他の如来蔵からも一切の情報を取得でき、如来蔵同士は互いに有無相通じ、何の秘密もない。心に何かを隠そうとする意図もなく、故意に何かを漏らそうとする意図もない。その心は完全に開かれている。各衆生の意根は自らの如来蔵に依っても、相手の如来蔵内の関連情報を知ることができ、意根は相手を了知する。それゆえ因縁のある人同士には一定の感応が生じる。
如来蔵は時と場所を選ばずに五蘊身の外界の一切の情報を摂取できるため、意根もまた時と場所を選ばずに外界の六塵境界を縁とすることができる。自分にとって有用な重大な情報については意識に知らせるよう警戒し、重要でない情報は意根自らが処理するか、無視するか、如来蔵内に記録として保存する。この世に漏らせない秘密が何かあるかはわからないし、そもそも秘密が存在するかどうかもわからない。各人の心の中の事柄も、自分だけが知っているわけではない。さらに多くの自分でも気づいていない思考や考えを、他の人はとっくに知っている。この世に秘密などあるだろうか。宿命通を持つ者は、各人が無始劫以来経験してきたことを一点一滴、記録を閲覧するかのように素早く調べ出すことができ、些細なことさえも漏らさない。しかしそれは全て如来蔵を通じて閲覧されるのであり、全ての秘密もまた如来蔵によって漏らされているのである。
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