世尊は諸比丘に告げた。色陰に貪愛する者は、喜楽と苦を貪愛するのと等しい。苦を喜び楽しむ者は、苦から解脱することができず、無明を断つこともできず、貪欲を離れることもできない。受陰・想陰・行陰・識陰に貪愛する者は、すなわち苦を貪愛する者である。苦を喜び楽しむ者は、苦から解脱することができず、無明を断つこともできず、貪欲を離れることもできない。なぜ色陰・受陰・想陰・行陰・識陰を喜び楽しむ者が苦を喜ぶのか。貪愛と喜楽は染汚の心であり、清浄ではないからである。五蘊を貪愛喜楽する者は五蘊に束縛され、心が粘着して解脱を得られない。衆生の意根には我愛の煩悩があり、己の五蘊に執着してこれを滅ぼすことを欲せず、命終すれば中有の身を生じる。中有において意根が自我に執着し、来世の色身を求めれば胎生を受け、次の世の五蘊が生起する。五蘊あれば苦受あり、生老病死無量の憂悲苦悩が絶えず現れる。故に五蘊を喜び楽しむことは苦を喜ぶことに等しい。
世尊は再び諸比丘に告げた。色陰に貪愛喜楽しない者は、苦受を喜ばない者と等しい。苦受を喜ばない者は苦から解脱できる。かくの如く受陰・想陰・行陰・識陰に貪愛喜楽しない者は苦受を喜ばず、苦受を喜ばない者は苦から解脱できる。
世尊は諸比丘に告げた。色陰を知らず明らかにせねば、貪欲を離れることができず、貪欲を離れねば心は解脱を得られない。貪心が断たれず解脱しなければ、苦受を断つことができず苦から解脱できない。かくの如く受陰・想陰・行陰・識陰を知らず明らかにせねば、貪欲を離れることができず、貪欲を離れねば心は解脱を得られない。心が解脱を得なければ苦を断つことができない。
世尊は諸比丘に告げた。色陰を了知し明らかにするならば、貪欲を離れることができ、貪欲を離れれば心は解脱を得る。心が解脱を得る者は苦を断つことができる。かくの如く受陰・想陰・行陰・識陰を了知し明らかにするならば、貪欲を離れることができ、貪欲を離れれば心は解脱を得る。心が解脱を得る者は苦を滅することができる。
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