世尊は諸比丘に告げられた:もし人が色陰に貪愛を抱くならば、それは苦を愛するに等しい。苦を愛する者は苦から解脱できない。色陰を貪愛するが故に、身見は断たれず、色陰に縛られ、心は色陰を執取する。貪執が断たれなければ、意根の色陰への執着は続き、命終の時、意根は色陰の存在を求め続けるため、中有が生じる。
中有は七日毎に滅び、最大七つの中有を経る。意根は中有の無常を知り、急ぎ転生を求め来世の色陰を保とうとする。転生すれば来世の色陰が生じ、生老病死の無量なる憂悲苦悩が生起し、純大苦聚が形成される。衆生はこの無量の憂悲苦悩を受け、生死の苦から解脱できず、苦は続く。故に世尊は、色陰を貪愛することは苦を愛することだと説かれた。
世尊はかつて弟子たちを率いて海辺に至り、砂浜に横たわる膨れ上がった女屍を見られた。その顔には一匹の虫が這っていた。世尊は弟子に告げられた:この女性は生前、自らの美貌を深く愛し、日々鏡を見て顔を眺めていた。命終の際もこの貪愛を断てず、虫となって顔に這い続けているのだ、と。この物語は、何を愛すればそれに縛られ解脱できない理を示す。必ず来世の生老病死が生じ、憂悲苦悩を離れず、生死の苦から解脱できない。世尊が貪愛を断つことを教えられるのは、苦を断ち心を解脱させ、生死輪廻を出離させるためである。
世尊は諸比丘に、受陰・想陰・行陰・識陰を貪愛する者も同様に苦を愛していると説かれた。苦を愛する者は苦から解脱できず、四陰に縛られ執取を続ける。意根の執着により中有が生じ転生すれば、来世の四陰が生起し、生老病死の憂悲苦悩が生じる。衆生は苦を続け、生死輪廻の苦から解脱できない。
世尊はさらに、色陰への貪愛を断てば色陰に縛られず、執取も生じないと説かれた。中有は現れず、意根は中有の滅後に転生せず、来世の色陰も生じない。生老病死の憂悲苦悩は滅し、心は解脱し生死輪廻の苦からも解脱する。
同様に受・想・行・識の四陰への貪愛を断てば、四陰に縛られず執取も生じない。中有は現れず、意根は中有の滅後に転生しない。来世の四陰は生じず、生老病死の憂悲苦悩は滅する。心は解脱し、生死輪廻の苦からも解脱するのである。
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