答:一切の衆生は時刻々々如来蔵を運用しており、一つとして使わない者はいません。細菌や蟻のような衆生も含めてです。違いは、証悟した人は知って使うのに対し、証悟していない衆生は知らず知らずのうちに使っているという点です。実はどちらも受動的な使い方であり、使わざるを得ないのであって、如来蔵が能動的に助けているのです。仏菩薩のような智慧ある人は善く使い、心地が染汚している人は悪く使います。しかし善く使うにせよ悪く使うにせよ、いずれも如来蔵が能動的に意根と五蘊 (pañca-skandha) に配合して生じさせる用であって、意根と五蘊が善であれば如来蔵は配合して善法を造り、意根と五蘊が悪であれば如来蔵は縁に随って悪法を造ります。鍵となるのは意根と業種です。だから修行とは意根を修めて善い種子を蓄えることであり、そうすれば如来蔵は善縁に随って善法を造ります。私たちはただ修行することだけを心掛ければよく、如来蔵をどう使うかを気にする必要はありません。意根をうまく使えば、それが如来蔵をうまく使うことになるのです。
一般に言う神通とは五種の神通、すなわち天眼通、天耳通、神足通、他心通、宿命通 (pūrvanivāsānusmṛti) であり、いずれも四禅八定から来るものであって、憑依の類は神通には属しません。如来蔵の功能作用を方便として神通妙用と言いますが、衆生の意根の心量と智慧が開かれ、禅定が現れれば、神通や大神通が現れます。これは如来蔵が意根に随って顕現したものです。だから修行は主に意根を修めることであり、まず最初に意識を修めるのです。
一般の神通はすべて禅定を修めた結果であり、如来蔵を証得したか否かとは関わりません。神通は世俗法であり、定学の成就です。世俗法の事柄には、如来蔵を持ち出す必要はありません。例えば一つの技術を身につけたいなら、ただその技術に専念して研鑽すればよく、如来蔵を持ち出しても役に立ちません。ご飯を上手に作りたい場合も、如来蔵を持ち出しても役に立たず、かえって事を誤らせます。小乗の空や外道の空でさえ、如来蔵を持ち出しても役には立たず、すべての事をいちいち如来蔵に結び付ける必要はありません。しかし地上菩薩の大神通は、如来蔵の証悟と関係があります。それは禅定と大智慧の結合であり、一つでも欠ければ大神通は現れません。
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