衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2025年03月20日    木曜日     第1 回の開示 合計4346回の開示

五受陰が尽きた状態とはどのような状態か

五受陰は衆生の七識にとって五つの障りであり、七識の広大な功徳作用の発揮を妨げ、七識の神通妙用を阻み、七識の知覚と作用を狭い範囲に局限させ、第八識の功徳作用の発現をも阻害し、大円鏡智が現前することを妨げます。四禅八定を修習し、四禅以上の禅定に達して初めて、漸次に五受陰の限界を突破し、その牢獄から脱出することができ、鳥が籠から出て自由を得るように、広大な天地を飛翔することができます。

五受陰を滅尽し破除するには四禅以上の禅定が必要です。四禅定は捨念清淨定であり、心に念がなければ一切の障りがなく、あらゆる神通を発起し、身心の障りを滅除し、何ものにも阻まれません。色陰は色身と一切の色法であり、六塵の境界でもあります。これは七識、特に六識に対して障りと妨害作用をもたらします。意根が六識を用いて事を行おうとしても、六識は機能しないため、五受陰が第七識に対しても障りとなると言われるのです。

色陰が尽きる時、色身と境界の色法は六識心に何ら障りをもたらさなくなります。これは何を意味するのでしょうか。色陰が六識心に与える障りとは、色身と物質色法の影響により、眼識が遠方を見ようとして見えず、天上地下を見ようとして見えず、他の星体や仏国土を見ることができず、色の認知が空間的距離に局限されることです。眼識が塀の外や山の向こう、深水や地中の色を認知しようとしても、物質色法に阻まれて見ることができません。暗闇においても色を認知できず、色の知覚は光の存在下に限定されます。

同様に、耳識は遠方の音声を聞くことができず、密度の高い物質に遮られると音が聞こえなくなり、一定範囲を超えた音声は認知不能となります。鼻識は遠方の香塵を嗅ぎ取れず、密閉された味塵を感知できません。舌識は舌根に触れない味塵を味わえず、身識は身根に接触しない触塵を感じ取れません。意識は前世来世の人事を知覚できず、宿命通を有しません。

四禅定を修得すれば色陰を破除でき、色を見、声を聞き、触を覚える際に色陰に阻まれることがなくなります。これにより天眼通・天耳通・他心通・宿命通が現れ、身の神足通も発現します。これが外道も四禅八定で得る五通自在です。ただし漏尽通のみは外道が得られません。これは煩悩を断じ尽くした智慧通であり、外道は我見を断たず我執を滅尽できないためです。色陰尽きた後、受陰・想陰・行陰・識陰の区宇を漸次に破除すれば、認知は広大無辺となり、一切の局限を超えます。

受陰区宇を破尽して初めて、身体の覚受による局限と支配から解脱します。色身が如何なる状態にあっても心は影響を受けず、火焼・刀割・水漬けもこの肉身を損なうことができず、あらゆる境界に対し心如如たりえます。受陰区宇が未破除の時は、肉体の触覚が六識心の波動に影響を与えます。

これらの神通は全て意根によって発起されます。元来、意根も広大な境界を了知しようとしますが、六識が五受陰に遮られているため意根は無力でした。今や障りが清除され、意根の願いは何ものにも阻まれず実現します。これには莫大な福徳の支えと戒律・禅定力の保持が必要です。この三条件のいずれかが欠けても、如何なる神通も発起できません。


——生如法師の開示
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意根の活動は脳の中にあるのか、それとも脳の外の虚空にあるのかでしょうか。

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楞厳経における世界の由来に基づく意根は無記性にあらざることの証明

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