かつての一人っ子政策の時代に、女性が第二子や第三子を妊娠した際、超過出産による罰金を恐れて中絶を強要された場合、この中絶の罪業は誰に帰属するのでしょうか。権力機関に強制され、外的な因縁に迫られてやむを得ず中絶した場合、自らの意思によるものではないため、中絶を行った者に罪はありません。政策を制定した者、各レベルで執行した者、具体的に中絶手術を実施した者には、それぞれ程度の差こそあれ罪業があります。よって高位の官職に就く者ほど、権力が大きいほど責任も重大であり、一つの政策の適否は数千万人、数億人の利益(生命を含む)に関わるため、因果関係は特に重いのです。
中絶手術を実施した医師や看護師たちは皆、悪業を造り、衆生と悪縁を結び、因果の責任を負っています。中絶などの殺生問題に関わらなくとも、たとえ一人を救っただけで、その人の怨親債主(おんしんさいしゅ)と悪縁を結び、患者に代わって業障を背負うことになります。そのため病院の医師は一般人より比較的短命であり、世間で美徳とされる「病気を治し人を救う」行為は、実際には美しくありません。弁護士や裁判官などの職業も同様に業障を背負う職業であり、他人の因果を担わねばなりません。
菩薩は一般的に官職に就くことを選びません。国王や宰相になれる立場でありながら敢えて就かず、一国を統治するには刑務所などの拘束施設を設置し、犯罪者に対応し、戦争に対処せねばならず、それゆえ重大な生命問題に関わり、誤れば重大な悪業となります。また租税などの民生に関する政策問題や法規・制度面の問題なども、誤れば全て重大な悪業となり得ます。
教師の職業にも、貪瞋痴(とんじんち)の煩悩を伝授する者がいます。社会の各エリート層の多くは多少なりとも貪瞋痴の煩悩を伝えており、それ自体が煩悩を断ち切っておらず、身口意の行いが貪瞋痴と相応しているからです。ゲーム産業、映画・テレビ・短編ドラマなどの業界も、貪瞋痴の煩悩や悪業を造る方法を広めています。貪瞋痴の煩悩を断つことを提唱する仏教の内部でさえ、多くの者が衆生に貪瞋痴の煩悩を広めており、特に在家信者が最も多く伝播しています。何しろ世俗の生活に密接すぎるため、貪瞋痴は抑え難く常に顕現し、煩悩は知らぬ間に伝播し衆生を染めてしまうのです。中には無意識ではなく、明知しながら故意に衆生を煩悩で染め、自ら利益を得ている者もいます。
15
+1