衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2025年10月27日    月曜日     第1開示 合計4509開示

五戒と菩薩戒の違い

問:弟子は以前バーでバーテンダーとして働き、酒を販売していました。酒を売る際に「皆が多く飲めば飲むほど、自分は多く稼げる」という念を起こしました。この行為は、戒を受けた場合と受けていない場合の両方で、どの品の罪に当たりますか?懺悔は可能でしょうか?人を導いて酒に酔わせ心を失わせることは、未来の果報を消すことができるでしょうか?

答:バーテンダーとして酒を販売する仕事は、菩薩戒を受ける前は、いずれも犯戒とはなりません。五戒では飲酒を戒めるのみで、酒の醸造・販売・贈与業は戒めていません。酒を売る際に念を起こすことは意業に属し、小乗では遮りませんが、大乗では念を起こした時点で菩薩戒を犯します。意業は、五戒・八斎戒および出家戒にとって、いずれも懺悔可能です。身業・口業が現前していない限り、意業は全て懺悔可能です。なぜなら心は変えられるもので、意業が変われば消滅するからです。一方、深刻な身業・口業は一旦造作されれば影響が残ります。それはちょうどこぼした水のようで、覆水盆に返らずです。これらの戒は主に身口の相を戒めるもので、具体的な業行が形成されなければ、果報はさほど悪くはありません。

菩薩戒は主に心を戒めるもので、これらの小乗戒よりも深く細かく守るのが難しいものです。念を起こしただけで即犯戒となります。心が異なれば戒律も異なり、心が変われば戒律も変わらねばなりません。階位の異なる菩薩が持つ戒律もそれぞれ異なります。大小乗の戒律もまた異なり、時には相反することもあります。小乗戒を守れば大乗戒を犯し、大乗戒を守れば必然的に小乗戒を犯すことになります。大乗の菩薩は皆、大乗戒を基準とし、小乗戒を犯すことになっても大乗戒を行じます。さもなければ大乗戒を犯すことになり、それはもはや菩薩ではないという重大な事態となります。

心が空じれば事もまた空じ、心が空じなければ事もまた空じません。なぜなら事は心の作るところであり、どのような心がどのような事を作るかによるからです。善き心は善き事を作り、悪しき心は悪しき事を作ります。居心(心の在り方)が異なれば、事の表面は同じでも実質は大きく異なり、場合によっては正反対になる可能性があります。同じように事を行い、同じ事を行っても結果が大きく異なるのは、発心が異なり、居心が異なることによるものです。


——生如法師の開示
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