衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2025年11月06日    木曜日     第1開示 合計4518開示

誰も僧の身口意の不善を説くことはできない

出家者の生活や修行の態度について、在家者をはじめとする一切の俗人は誹謗や非難をすべきでなく、またその権利もない。しかし、出家者が誤った法義を説き、仏典の原意や解脱の法に反する内容を説く場合、つまり正法を非法と説くような状況に直面したらどうすべきか?

法義は衆生の生死輪廻という問題に関わる重大事であるため、誤りは正されねばならない。これ以外においては、僧個人や僧団のいかなる世俗的行為も非難・宣伝すべきではなく、特に悪意による宣揚、下心や私心による宣揚、個人の目的達成のための宣揚、仲違いを誘う宣揚など、僧のイメージを破壊しようとする行為は厳に慎むべきである。この罪業は極めて重く、懺悔すら通じないこともあり、現世における花報(速報)も生じる。現世の花報は後世の果報よりもはるかに軽いが、花報があれば必ず後世の果報が伴い、両方を合わせると非常に重い報いとなる。

たとえ出家者であっても、他の僧侶の身口意の行いを故意に宣伝したり公に非難したりして在家者に知らせ、誹謗の機会を与えて悪業を造作させ、それにより三悪道に堕ちて報いを受ける因縁を作るべきではない。大乗の菩提心を起こした衆生は誰でも尊重し敬うべきであり、大いなる福徳を持つ者や徳行のある者に対しても同様に敬意を払うべきである。もし彼らに対しても誹謗の心を起こせば、その罪過は甚大で、自らの福徳を急速に消耗させ、様々な違縁(障害)や逆縁(逆境)が生じるに至る。自らの福徳を損なう行為は、必ず忍耐し抑制し、造作してはならない。

三宝を誹謗し、徳ある者を誹謗し、その他一切の悪業を造ることは、天を仰いで唾を吐くようなもので、結局は自らの顔に落ちる。また石を持ち上げて結局は自らの足を打つようなものである。他人と争ってはならない。因果と争ってはならない。如来蔵と争ってもならない。人の計算は天の計算に及ばず、如来蔵の因果律には到底かなわない。逆に言えば、人が造る一切の善業や福業も全て自らに還り、自らがその利益を受ける。善業は自らのために造り、自らが善報を受ける。一切の報いは自らに返り、他には落ちない。


——生如法師の開示
前へ前へ

なぜ三宝を誹謗する罪が最も重いのか?

次へ 次へ

懺悔文解説

ページトップへ戻る