懺悔文:無始よりこのかた、今生に至るまで、三宝を毀破し、一闡提(いっせんだい)となる。
大乗経を謗り、般若の学を断ち、父母を殺害し、仏身血を出す。
僧伽藍を汚し、他者の梵行を破り、塔寺を焚毀し、僧物を盗用す。
諸々の邪見を起こし、因果を撥無し、悪友に狎近し、良師に背く。
自ら作り、他を教え、見聞し随喜す。かくの如き等の罪は、無量無辺なり。
故に今日において、大いなる慚愧を生じ、誠を克くして披露し、哀れみを求め懺悔す。
惟うらくは三宝、慈悲をもって摂受し、浄き光明を放ち、我が身を照らし触れたまえ。
諸悪消滅し、三障蠲除され、本心源に復し、究竟して清浄ならんことを。
往昔に造りし諸々の悪業は、皆な無始の貪瞋痴より起こり、身口意より生ずる所なり。今、仏前に対して懺悔を求む。
【釈】この懺悔文の内容を一条ずつ列挙し、我々一人一人が照らし合わせてみれば、そのうちの何条を犯したか? あるいは全てを犯したか? ある罪業は既に悪報を受けたが、なお如来蔵に業種の形で存在し、現行して悪報を受けていない、あるいは未だ報い終わっていない罪業がどれほどあるか?
「三宝を毀破し、一闡提となる」とは、仏・法・僧を謗り、仏法僧三宝を破壊する罪業を指し、衆生をして三宝への信奉と依存を失わせ、菩提心を退失させる。かかる者は善根を断ち切り、仏の種性を断ち、永く解脱を得ず、涅槃に入らず、一闡提と呼ばれる。
「大乗経を謗り、般若の学を断つ」:いかなる行為が大乗経を謗るに当たるか? 大乗経は仏の説ではなく後人の創作であると言うことである。これにより大乗経を謗り、衆生をして大乗経を信受し修学することを止めさせ、学人の般若智慧をも断つ。罪過は極めて大きい。
「父母を弑害し、仏身血を出す」:父母を弑害する者は罪過が極めて大きく、父母の恩義を知らず、恩を仇で返し、果報として無間地獄に堕ちる。いかなる行為が仏身血を出すに当たるか? 仏には三身(法身・報身・応化身)があり、この三身を破壊侮辱する一切は仏身血を出すことに当たる。仏は応化身たる五蘊身をもってこの娑婆世界に来臨される。衆生が応化肉身仏に対して加害し、仏像を毀損することは仏の応化身の血を出すことである。報身仏には一般の衆生は接触できず、仏身血を出すことは不可能である。報身に接触できる地上の菩薩は決して仏身血を出さない。衆生は愚痴無知ゆえに、無相の法身仏に対する誹謗破壊が多く、法身仏の存在を認めない者、法身仏を恣に攻撃歪曲する者がおり、これらは皆な法身仏の血を出し、五逆罪を犯すことになる。
「僧伽藍を汚し、他者の梵行を破る」:寺院において濁ったことを行い、酒を飲み、肉を食い、殺生し、盗み、淫欲を行い、一切の貪瞋痴の悪業をなすことは、全て僧伽藍を汚すことに属する。僧尼の清浄な戒行と戒体を毀破し、僧尼と共に淫欲を行うことである。これらの罪業は一般に懺悔によって清浄にすることはできず、地獄に堕ちて報いを受けることになる。
「塔寺を焚毀し、僧物を盗用す」:寺院や廟宇、及びその中の財物を焼き払い毀損し、現前の僧侶の物品を盗むことである。これらの悪業は罪過が無量であり、報いもまた地獄にあり、出る期会を得ることは難しい。
「諸々の邪見を起こし、因果を撥無す」:心中に一切の邪見を抱き、一切の造作には因果がなく、果報もないと説くことである。この邪見によって三悪道に堕ち、長劫にわたり罪苦に耐えることになる。
「悪友に狎近し、良師に背く」:悪友と親密に交わり、同流合汚し、良師の尊い教えに背き、造作した悪業によって堕落し、生死の苦から出離することができない。
「自ら作り、他を教え、見聞し随喜す」:自ら悪業を造作するだけでなく、他人に一切の悪業の造作を教え、他人が悪業を造作するのを見て、心に喜悦を生じ、他人の悪習を助長することである。例えば、邪見の凡夫が「大乗は仏説にあらず」と言えば、これを見聞し随喜する者が現れ、この者を「よく言った」と賛嘆する。こうして最大の悪業、極大の悪業を随喜し、この果報は計り知れず、無間地獄に堕ち、再び出ることは難しい。随喜すべきでないことを随喜し、随喜すべきことをせず、無知で愚痴である。
無始よりこのかた、今生に至るまで、絶え間なくこれらの最も重い悪業を造作し続けている。今、唯識を学び、この程度に至ってもなお、これほど重い悪業を造り続けている。衆生の染汚は如何に深刻か、心は如何に悪しきか。いつになったら悪業を絶ち始め、永遠に再造せず、いつになったら悪業が終わるのか?
「かくの如き等の罪は、無量無辺なり」:以上のような罪業と悪報は無量無辺の数に上り、罪悪は山のように目前に立ちはだかり、一歩も進めなくさせる。どうして我見を断ち明心し、解脱を得られようか? 衆生の罪業はまことに山のごとく、悪業は累々と積み重なっているのである!
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