衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2026年04月09日    木曜日     第1開示 合計4675開示

身空の浅はかな体験

如春:今朝坐禅に入るとすぐに、全身がまるで鉄の箱のように固まってしまい、呼吸だけがその中央の通路を行き来しているのを感じました。夜、坐禅を終えて痺れた足をほぐし、リラックスした姿勢で横になると、自分自身に問いかけました。「意根よ、呼吸とは何か、身体とは何か?」すると頭に一つの言葉が浮かびました。「何ものでもない、何もない」

続いて呼吸観察を始めました。観察しているうちに少し眠気が襲い、半覚半睡の状態の中で、部屋が次第に高く広くなっていくように感じられました。やがて自分自身が非常に広大な空間にいるかのようになりました。次第に身体が少しずつ、層をなして消えていくのを感じました。さらに、身体を持たない自分が階下の庭に漂っているのを見たような感覚に至りました。身体は影のようであり、また完全に何もないかのようで、虚空のようでもあり、まるで透明化したかのようでした。この軽やかな感覚は非常に明確でしたが、適切に表現する言葉が見つかりません。

講評:これは主に禅定の境地であり、気脈が身体内を巡る現れです。禅定のみではこのような現象は現れず、観行の智慧が混ざり合い、止観が互いに増進し合って初めて現れる境地です。この境地は心の認知する智慧をも示しており、境地は心を表します。心がどのように認知するかによって、そのような境地が現れます。心がますます空じるにつれ、身体もまた空じていきます。心が身体を空と認知するため、これらの境地が現れるのです。心は万物を転じ、また身体をも転じます。身体に執着すれば身体は存在し、身体を空じれば身体は無となります。有るか無いかは、心の観念にあります。

この境地は、あなたが現在「身空」の状態にあり、ほぼ預流果向(初果向)に至っており、預流果(初果)に近づいていることを示しています。

——生如法師の開示
前へ前へ

意根の執身習気

次へ 次へ

初歩的な念仏三昧

ページトップへ戻る