衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年04月20日    月曜日     第1開示 合計4687開示

修行がある程度の時に至ると、因果の債を償わなければならない

如春:この間、定力をしっかり補おうと思って、人との付き合いをかなり減らしました。前の段階では効果がなかなか良くて、心が比較的清浄になり、定力も少し進歩しました。汗もたくさん出て、体もずっと軽やかになりました。しかしこの半月余り、状況はとても悪く、座って三十分もたたないうちに足がひどく痛くなり、朝晩一時間ほど座るのは途中で足を組み替えて無理に耐えて続けています。想像がつくと思いますが、効果はとても悪く、定のかけらさえなく、妄念が乱れ飛び、人もとても昏沈で重くだるく、足首もむくみ始めました。

医者に診てもらったところ寒湿が重いと言われ、鍼灸、お灸、薬とすべて試しましたが、効果はどれも良くありませんでした。心の中はとても焦り、『地蔵経』『楞厳咒』を誦んで、仏力の加持を願いました。また意根と対話もしました。どんなに反対されても、私は以前のようには戻れず、世俗法の中へ戻って奔命に疲れることはあり得ない、あなたも私も、それが帰ることのできない道であることを分かっているはずだと。もし状況が改善しなければ、辟谷(断食)を始めるしかありません。空腹に耐える味は決して楽なものではありません。煩悩が現れたときには、自分と、そして他人と和解し、私たちは皆凡夫であり、誰もが利己的になり、誰もが過ちを犯すのだから、責めるべきことは何もないと考えます。自分に瞋心が道を障べていないかを点検します。師兄たちの中に似たような経験をされた方はいらっしゃいますか。何か良い対処法はありますか?

評点:これは気脈が足まで運行して、足を調整し始めたときに現れる現象です。足は湿気が重く、禅定に影響するため、禅定が進んだり退いたりするのは正常な現象で、気脈が通れば良くなります。中医の方法による治療を組み合わせれば調整の過程を速めることができ、観想の方法も使えます。

身体の上で用功するのは術であり、心の上で用功するのは道です。術があっても必ずしも道があるとは限りませんが、道があれば、術を心配する必要はありません。心の上で用功するというのは、自他の五蘊が虚妄で実のないものであること、苦・空・無常・無我であることを正しく認識し、因と果の弁証的関係を正しく認識し、自他の前の因を了知して、後に受ける果を甘んじて受け、因を了知して果を滅し、新たな殃を造らなければ、はじめて苦を出る日が来ます。もしそうでなければ、業障が来るたびに、修めた術はすべて元の形に戻され、修めたものはほとんど失われ、功なくして帰ることになります。前に因があれば、どうして後の果を受けないでいられましょうか。誰が自分の代わりに報いと果を受けることができましょうか。心を改めなければ、業は断たれず、果報を受け終わることができるでしょうか? 

如春:翌日、寝る前に私は業障とどう業を消すかについてのことを考えていて、考えているうちに眠ってしまいました。夢の中で子供を学校へ送っていくと、空から雨が降り出したので、傘を取りに戻りました。傘を持って来たときには、空から今度は大雪が降っていました。その雪はとても大きく、ポップコーンのようでもあり木を削った木屑のようでもあり、一筋一筋と空から舞い降りてきて、降った雨と雪が地面に水たまりを作っていました。私はこの水はどんなに冷たいだろうと思いながらも、やはり裸足で走って行って足を氷水に浸けました。水の深さはほぼ膝のあたりまででした。しばらくして、水辺に一本の紅梅があるのが見えました。厚い雪に押し圧えられてはいましたが、それでも赤い花びらが見えました。私はとても美しいと思い、水の中から上がって、写真を撮ろうとしたところ、携帯電話が見つからず、そこで目が覚めました。

評点:これはイメージの夢です。夢の中の雨と雪は水湿を表し、足が水たまりに踏み込んだのは、足に重い湿気があり、それを取り除く必要があることを表しています。どうやって取り除くのか。まず水たまりから出て、これ以上水に浸かり続けないことです。そこで水辺の紅梅が自分を引き寄せ、水たまりから出たのです。しかしこれで終わりではなく、この後、夢の中でこの業障の問題をどう処理するかは分かりません。修行がある段階に達すると、必ず因果の債を償うことになります。


——生如法師の開示
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