衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2026年05月26日    火曜日     第1開示 合計4723開示

境界と定力の関係(一)

問:時折、座中において意識心が十分に静まり、妄念が無くなったと明確に感知できるにもかかわらず、脳裏には山水画のような山々や林木、鳥獣、僧侶などの映像が現れることがあります。これらの映像は第六意識が想像したものではなく、理由もなく突然湧き出てくるかのように明確に感じられます。これは定中に生じる定境でしょうか?もしそうであれば、この定は比較的深い定に属するのでしょうか?

答:まず第一に、明確に感知する心は意識心です。意識にははっきりとした念は無くとも、感知がある以上、十分に静まっているとは言えません。意識が静まろうとしても、意根が静まろうとせず、事を起こそうとするため、意識は静まれないか、完全には静まれません。頭の中に不随意に現れるあらゆる考えや映像は、意識では制御できず、全て意根が現出させたもので、独頭意識が感知します。これは雑乱独影境であり、定境ではありません。この時点では、意識が十分に静まっているとは言えず、自身の判断は不正確です。定境には最低限、未到地定が必要であり、この禅定以上で現れる境地が初めて定境に属し、それ以下では定境は現れません。

仏教を学ぶ上で最も基本的なことは、時間をかけて様々な基礎概念を明確にし、それから初めて法を正確に判断できるようになることです。多くの経験を積み、多くの法を実践し、様々な現象に軽々しく結論や評価を下さず、落ち着いていることが大切です。世間と出世間におけるいかなる小さな成果も、相応の努力と代価を払って初めて得られるものです。自身の付出を惜しまず、自身と細かく損得勘定せず、ただひたすらに修行に専念し、その結果をあまり気にしないことです。仏教を学び始めたばかりの者は、常に他者の励ましや慰め、指導を必要としますが、もしそのような環境が無ければ、自ら独りで全てに立ち向かい、外的な要素に頼ることを減らすべきです。独立すればするほど有能になり、成就も得られます。

問:坐禅中、目を開けて数秒間太陽を見ると、額の前に青藍、翠緑、またはピンク色のレーザー状の小さな光の塊が現れ、非常に美しく、特に翠緑が多いです。それは約一分余り続いた後、ゆっくりと消えていきます。その間、その小さな光の塊に意念を加えると、明らかに明るさが増す効果もあります。これは純粋に生理的な現象でしょうか、それとも禅坐中にのみ現れる良い現象でしょうか?

答:これは純粋に生理的な現象です。目を細めて太陽を見ると、光の屈折現象が生じ、眼前に様々な色の光影が現れます。太陽を見た後、目を閉じてから現れる様々な色の光は、視覚の遅延によるものです。眼識と意識は既に光を見るのを止めていますが、目を閉じた後も映像がしばらく残るのは、視覚の短期的な記憶であり、実際には色は既に消え去っています。太陽の光を見る場合だけでなく、他の色を見る場合も同様です。まさにこの視覚の残存遅延現象があるからこそ、我々は全ての色法を見る時、それが完全で連続しているように感じ、断続的には感じません。一つの色が次の色に繋がっているとは感じず、それ故に全ての色法が真実で信頼できるものと思い込み、全ての色法を本物と見なして、分別し執着し、手放そうとしないのです。

もし内心が静かで、禅定が良ければ、自身や境界の相が連続して密接に繋がっているのではなく、スローモーションのように徐々に分解されていく映像のように観察され、心の中に少し非現実的な感覚が生じます。さらに観察を続ければ、五蘊が空であることを証悟するでしょう。


——生如法師の開示
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境界と定力の関係(二)

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