衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年03月31日    日曜日     第3開示 合計1380開示

再来人の証果と明心が他者より速やかな理由

仏在世時の大根器の衆生、極大根器の衆生は、五蘊無我の理を聞いたその場で、反復して思惟観行することなく、四果阿羅漢を証得し、袈裟を着け、髪は自ら落ち、神通が現前する。例えば大迦葉、舎利弗、須菩提などがそうである。それは彼らが前世に四果を証得してから今に至るまで無量劫を経ており、あるいは三つの無量劫にも及び、その身分は仏の再来者であるかもしれず、生まれながらに禅定を具え、宿命通を持ち、生まれながらに阿羅漢であったからである。彼らが当然、一言の仏法を聞いて直ちに悟りを証得する様を示現できるのは、意根が無量劫の昔にすでに悟りを証得しており、意根は一度も断滅せず、常に五蘊無我を知っていたからである。意識が再び努力して意根を薫習し意根を教える必要はない。彼ら今世の五蘊は新しく、意識も新しいが、仏法に遇って少し思惟するだけで悟りを証得する。こうして悟りを証得するのが非常に速いのである。

もし意識に宿命通があれば、意識も同様に生まれながらに五蘊無我を知っており、再び我見を断って悟りを証得する必要はない。しかし衆生を度し影響を与えるために、悟りを証得する様を示現することができる。今世の意識が一句の仏法を聞き、思惟することなく、五蘊無我を証得できるのである。そして意根は常に知っている。前世に一度でも悟りを証得した人は、今世の悟り証得が皆速く、意識が再び意根を薫習し教える必要はない。前世に悟りを証得した回数が多ければ多いほど、今世の悟り証得は速い。なぜなら意根に無明がなく道を障げないからである。意根が薫習され転換された人は非常に利発で、意識が理解できればそれで十分である。もし前世に初果を証得していれば、今世再び初果を証得するのは容易だが、二果を証得するのは容易ではない。なぜなら意根は初果程度の観行智慧にしか相応していないからである。

前世に二果を証得した人は、今世再び二果を証得するのは比較的容易だが、三果を証得するのは容易ではない。なぜなら意根は三果にまだ相応せず、再び三果の内容を薫習し教え、意識と意根が三果を証得できるようにしなければならないからである。前世に三果を証得した人は、今世再び三果を証得するのは比較的容易だが、四果を証得するのは容易ではない。なぜなら意根は四果の境界に相応せず、再び四果の内容を薫習し教え、意識と意根が四果を証得できるようにしなければならないからである。これが再来人が悟りを証得し明心するのが他人より速い理由である。

——生如法師の開示
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