原文:何故か。これら諸の衆生は、もし心が相を取れば、即ち我・人・衆生・寿者に執着する。もし法相を取れば、即ち我・人・衆生・寿者に執着する。もし非法相を取れば、即ち我・人・衆生・寿者に執着する。是の故に法を取るべからず、非法を取るべからず。
釈:世尊は説かれた。何故そうなのか。そのような衆生は、もし心で相を取って相に執着すれば、それは四相に執着することである。四相に執着すれば、必ず法相に執着する。我相が破れていないため、自我の立場や視点に立てば、一切の法が真実であると見做し、五蘊の身の行住坐臥・衣食住、及び知見・見解・感受の全てが真実となり、同時に他の三相への執着が生じるからである。
法相は三界の有為法であり、三界は衆生の認識によって存在する。自我があって初めて三界の法相を認識できる。故に法相に執着すれば、即ち我・人・衆生・寿者の四相に執着する。もし非法相を取り「一切の法は空であり、実相の心である第八識も存在しない」とすれば、我・人・衆生が生じる根源及び寿命が依存する実体を否定することになる。そうなれば我・人・衆生は第八識が顕現したものではなく、自然に存在し、原因なく存在するものであり、虚妄ではないと見做され、一切の識心の機能が真実で第八識によって供給されたものではないとされる。これも四相への執着であり、生死の業障を持つ凡夫の衆生である。故に衆生が大乗の法を学ぶには、一つの法相に執着すべきでなく、非法の断滅法相をも取るべきではない。
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