時には静かに考え事をしたいのですが、耳元には常に微かな雑音や虫の鳴き声などが聞こえてきて、少し騒がしく感じられ、注意が散漫になります。なぜ意識は聞きたくない音であるにもかかわらず、それが頭から離れないのでしょうか。これは意根の習慣的な縁取る行為であり、全く目的のない縁取る行為です。その習慣があまりにも強力なため、意識はそれを制御できず、長期にわたる禅定の修練によって、心を非常に興味深い事柄に没頭させることで初めて、意識が知りたくない法を遮断できるのです。禅定が深まり、意識が非常に集中している時、意根が縁取る法を意識は好まず、了別したくないと感じます。それを意根が知ると、次第に縁取ることをやめ、意識が自分を相手にしないと分かると安定し、注意力も集中します。禅定を修める原理はまさにこれであり、意識が意根に従わなくなると、意根は収斂せざるを得なくなり、意識を中心に回るようになります。こうして両者はともに安定するのです。
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