衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年04月14日    日曜日     第3 回の開示 合計1426回の開示

煩悩を断たず解脱を求めないことは大乗菩薩の修行でしょうか?

大乗菩薩の修行は小乗の者とは全く異なると言う者がおります。小乗の者は煩悩を断ち解脱を求めますが、大乗菩薩は如来蔵の如く煩悩を断たず解脱を求めずというべきだ、しかし如来蔵に断つべき煩悩があるでしょうか。如来蔵は何ものにも束縛されておりますか。如来蔵は本来煩悩なく、本来より解脱しております。如来蔵には無明が無い故に、当然無明尽くることもありません。七識に煩悩あれば煩悩を断つべきであり、七識が解脱しなければ解脱を求めるべきであり、七識に無明あれば無明を破るべきです。さらに言えば、大乗菩薩に根本煩悩があるのはさておき、不信・懈怠・放逸・昏沈・掉挙・失念・不正知・散乱という八つの大随煩悩と、無慚・無愧という二つの中随煩悩が明らかに世の人々の前に現れているなら、どうしてこれを菩薩と言えましょうか。心に十一の善心所法と相応しないなら、どうしてこれを大乗菩薩と言えましょうか。このような菩薩が衆生の手本となり模範となり得ましょうか。広大なる衆生がこのような菩薩に従って何を学べましょうか。ただ結果や利益や名声を求め、解脱の功徳を求めないような邪風を止めなければ、仏教は必ず速やかに滅びるでしょう。

——生如法師の開示
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