原文:いかにして人々のために説くべきか。相に取らず、如如として動かず。
釈:世尊はこう開示された。『金剛経』や四句の偈、如来蔵の妙法を説く善男子善女人は、いかにして人々のために説くべきか。如来蔵の体性に依り止まり、内心でいかなる法相にも執着せず、一切の法相に対し如如として動かず、法相の実在を見ず、外境の法相に心を動かされず、如来蔵のように清浄無垢で、相に取らず、心念を起こさず、境に対し心無く、如如として動かぬべきである。
菩薩方が如来蔵を証悟した後は、次第に如来蔵の清浄無為性を観じ、同時に一切の有為法の虚しさと無常性を感知するようになる。菩薩方の心は漸く有為法への意楽を生じず、如来蔵の清浄無為性に向かう。菩薩方は三界世間の一切有為法相が如来蔵より出生し幻化されたものであることを次第に観じ、ついに世間の一切法相に執取せず、一切の法に対し心を動かさず、最終的に如如不動、如来蔵の無為性に類似した境地に至るのである。
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