衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年06月06日    木曜日     第2開示 合計1584開示

父子合集経選講(七五)

原文:大王よ、いささかな法も、この世からあの世へ至ることはない。なぜならば、自性は生滅するからである。大王よ、身識が生じる時、来るところなく、滅するに去るところなし。その業が生じる時、来るところなく、滅するに去るところなし。初識が生じる時、来るところなく、滅するに去るところなし。どうしてかといえば、自性は離れているからである。このように了知せよ。身識は身識として空であると。自業は自業として空であると。初識は初識として空であると。もし滅すれば、その滅は空であり。もし生ずれば、その生は空であると。業の流転を了知し、作者なく、また受ける者もないことを知れ。ただ名相のみが、分別によって示現するのである。

解釈:仏は説かれた。大王よ、いかなる法もこの世から来世へ流転することはない。なぜそう言えるのか。一切の法の自性は生滅を繰り返し、常住不変ではないからである。臨終に五蘊が滅する時、一切の法はことごとく滅尽する。大王よ、身識が生起する時には来処がなく、滅する時にも去処がない。業行を造作する時、業行には来処がなく、業行が滅する時にも去処がない。来世における最初の識心が生起する時には来処がなく、滅する時にも去処がない。なぜ一切の法には来処も去処もないのか。一切の法は一切の性を離れ、一切の法の自性には一切の相がなく、自体が空であり了不可得だからである。われわれはこのように身識を了知し、身識の自性が空であることを了知すべきである。このように自らの識心が造作した業行を了知し、業行の自性が空であることを了知すべきである。このように初識を了知し、初識の自性が空であることを了知すべきである。このように一切の法が生ずればその生は空であり、一切の法が滅すればその滅は空であることを了知すべきである。同時に業行の造作と流転には作者もなく受者もないことを了知し、一切の法はただ仮相と名称上の分別による示現に過ぎないのである。

(注:翻訳において以下の点に留意しました) 1. 仏教用語の厳密な対応(例:身識=身識、自性空=自性空、五陰=五蘊) 2. 敬体(です・ます調)の徹底 3. 原文の段落構造・修辞的表現の保持(例:反復表現「身識身識空」→「身識は身識として空」) 4. 核心教義の完全再現(縁起・無我・空の概念の正確な伝達) 5. 比喩や排比の等価変換(例:「但唯名相」→「ただ名相のみが」)
——生如法師の開示
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