解悟はその然りを知るが、その所以然を知らない。証悟はその然りを知り、その所以然をも知る。
解悟の厄介な点は、すでに然りを知っているため、到達したと思い込み、その所以然を知ろうとしにくくなることである。たとえ知ろうとしても、禅定が不十分で慢心があるため、その所以然を知ることができず、解悟から証悟へ転じるのは非常に困難である。一方、一般に言われる解悟とは、単に仏法の理論をいくつか理解したに過ぎず、然りを知る段階には至っておらず、仏法の最終的な目的が何かを知らないため、解悟とは程遠い状態である。
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