意根心所法は実修の指針であり、また実修のオペレーティングシステムでもあります。指とは、心所法が自らの修行目標を指し示すことであり、帰とは心行の心所法の転換、および業種の転換に帰着し、心行が清浄になることを意味します。オペレーティングシステムとは、心所法に従い、絶えず心所法を転換していくことであり、実修とはすなわち心所法を操作する、あるいは心所法が操作される過程そのものです。
心所法の変化の根本因は如来蔵にありますが、如来蔵は主導識ではなく、主観的能動性を持たず、主体として働かず、受動的に意根によって用いられます。万物の生起は如来蔵から生じるものではありますが、その推動力は意根の心所法にあり、意根が何かを為そうとしなければ、如来蔵は何も為さず、一切の法も生じません。
意根は主観的能動性を有し、意根の心態が転換することによって初めて業種が変化します。意根心所法の転換が因であり、業種の変化が果です。業種とは、意根が何かを為そうとした後に如来蔵がこれに呼応して六識の造作を生起させることで形成されます。そうでなければ業種は存在しません。実際の真の修行においては、各段階が意根の心所法に変化をもたらし、心所法の変化そのものが果となります。因は依然として意根心所法が自らの心所法を変化させることにあり、その前提として意識的な心所法が意根の心所法を推動します。
しかし多くの法の出現は、意識によって推動されるものではなく、完全に意根単独によって推動される場合があります。例えば五蘊が生起する以前には意識が存在せず、意根が如来蔵を促して宇宙器世間の生存環境を生起させ、さらに五陰身を生起させた後に初めて意識が生まれ、五陰身の行為が現れ、業種が出現するのです。眠りから覚める前には意識がなく、意根が目覚めようと思った後に初めて目覚めます。昏迷状態において意識がなく、意根が身体の状態に基づいて目覚めようと思った後に初めて目覚めます。母胎内で最初は意識がなく、意根が転生を望めば転生し、住胎を望めば住胎し、出生を望めば出生するのです。
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