衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年06月13日    木曜日     第1 回の開示 合計1603回の開示

父子合集経選講(第九十二)

原文:大王、知るべし。諸根は幻の如く、境界は夢の如し。一切の諸法は皆悉く空寂なり。これを空解脱門と名づく。空にして空相無きを、無相解脱門と名づく。若し相無き有らば、則ち願求無し。これを無願解脱門と名づく。是の如き三法は空と共に行じ、涅槃の先道と為り、法界の如くに決定し、虚空際に周遍す。此の譬喩に於いて、是の如く知るべし。

釈:大王、ご了知ください。六根は幻化の如く、諸々の境界は夢の如し。一切法は全て空寂であります。これが空解脱門です。諸法が空でありながら空相も無いことを、無相解脱門と申します。一切法に相さえ無ければ、何らの願求も生じるべきでなく、これを無願解脱門と申します。かくの如く空・無相・無願の三解脱門は空と共に存在し、涅槃の道に向かい、このように修学すべきです。涅槃を求めるには、まず一切法が実相法界であり、阿頼耶識の一真法界であって、十方虚空際に遍満することを知った後に初めて涅槃を証得できます。これらの譬喩については、このように了知すべきです。眼耳鼻舌身意の六根は皆幻化されたもので、眼に見える諸境界、耳に聞こえる諸境界、六根が対する境界は、夢の中の事柄の如く真実ではありませぬ。何を求めましょうか。一切諸法は皆空寂で、空ならざるもの無く、寂滅ならざるもの無し。これが空解脱門です。一切法空を証得し、空と知れば解脱します。空にして空相無きを無相解脱門と名づけ、空の法には何らの相貌も見えず説けず指し示すべきもの無く、空もまた空なり。これが無相解脱門です。空には何の相も無く、空さえも無いと知れば、心は更に解脱します。もし空の相さえ無く、空も無ければ、何を空に執着しましょうか。相無きが故に願求無し。もし相が無ければ、我々に何の願求がありましょうか。何も求めずともよい。これが無願解脱門です。願求無きは心の更なる解脱。空・無相・無願の三解脱門を成就すれば聖人となります。空・無相・無願の三法は空と共に行じ、空から離れず、空相も無く、三者は互いに分離せず、層層に進んで究竟の解脱に至ります。我々が涅槃に入り、不生不滅を求めるならば、このように修行すべきです。絶え間なく空の心行を生じ、ますます空じ、空もまた空じて初めて徹底的に空じ切ります。もし心にまだ空が残っていれば、真の空ではなく、更に空の心を滅すべきです。涅槃の道においてはこのように修学すれば、涅槃を証得できます。涅槃とは解脱であり、涅槃とは不生不滅であり、涅槃とは寂静無為であり、涅槃とは大自在であります。

——生如法師の開示
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