衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年07月11日    木曜日     第1開示 合計1688開示

三種の阿羅漢

楞伽経原文:大慧よ。阿羅漢とは、諸々の禅・三昧・解脱の力をいう。煩悩の苦を明らかにし、妄想は実体なきことを知る。ゆえに阿羅漢と名づく。大慧、仏に白して言う。世尊よ。世尊は三種の阿羅漢を説かれました。ここで説かれるのはいずれの阿羅漢でしょうか。世尊よ。寂静なる一乗道を得たる者か、菩薩摩訶薩が方便として示現した阿羅漢か、仏が化導のために化現したものか。

釈:仏は説かれた。大慧よ、阿羅漢とは何か。阿羅漢とは四禅八定三昧を証得し、三昧の解脱力によって世の一切の煩悩の苦を明らかにし、それゆえにすべての一念の無明煩悩を断除し、自心の妄想に実体なきことを知る。ゆえに心は一切の妄想を離れ、妄想は生じない。それゆえ阿羅漢と称するのである。大慧は仏に申し上げた。世尊よ、あなたは三種の阿羅漢を説かれましたが、今ここで説かれているのはいずれの阿羅漢でしょうか。是れ無余涅槃に趣き寂静解脱道を得た阿羅漢でしょうか、それとも菩薩摩訶薩が衆生を度するための方便として故意に示現した阿羅漢でしょうか、あるいは仏が衆生を化導するために示現した阿羅漢でしょうか。

原文:仏、大慧に告げたまわく。寂静なる一乗道を得る声聞なり。余(の二種)にあらず。余の者は菩薩行を行じ、及び仏の化現なり。巧みなる方便と本願の故に、大衆の中に示現して生を受く。仏の眷属を荘厳せんがためなり。大慧よ、妄想の処において種々の法を説く。果を得、禅を得と謂う。禅とは禅に入ることをいう。悉く遠離するが故に、自心現量を得ることを示現し、果の相を得て、得果と説いて名づく。

釈:仏は大慧に告げられた。私が今説いているのは寂静解脱道に趣く阿羅漢である。彼らは速やかに解脱を得んがため、努めて四禅八定を修め、禅定の力によって解脱を得て無余涅槃に入るのである。他の二種の阿羅漢、菩薩行を行う阿羅漢と仏が化現した阿羅漢については説いていない。それらは権巧方便として阿羅漢の行いを示現したものであり、菩薩と仏の本願力の故に、大衆の中で阿羅漢の身分として生を受けることを示現したのである。これもまた仏の眷属を荘厳するためである。

大慧よ、仏菩薩は衆生の妄想する処において種々の法を説き、このように修行すれば阿羅漢果を証得できると説き、このように修行すれば四禅八定を証得できると説き、禅定を修めれば定中に入れると説く。これらもまた不実の妄想に属し、幻化して生じない相である。皆遠離すべきものである(これによって初めて真実に入ることができる)。諸仏菩薩は示現して大智慧を開き、自心現量の境界が湧現することを示現し、初果から四果に至る相貌を得ることを示現する。一つの名相を起こして得果と称するが、実際には果もなく、得果する人もいない。すべては妄想である(ただ自心の不生不滅なるもののみが妄想ではない)。

——生如法師の開示
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