楞伽経原文 :大慧よ。阿羅漢とは、諸々の禅定・三昧・解脱の力を指す。煩悩の苦しみを明らかにし、妄想念が実体なきことを悟る。故に阿羅漢と称する。大慧が仏に申し上げた。世尊よ。世尊は三種の阿羅漢を説かれました。ここで説かれる阿羅漢はどのようなものでしょうか。世尊よ。寂静の一乗道を得た者でしょうか。菩薩摩訶薩が方便として示現した阿羅漢でしょうか。それとも仏が教化のために化現したものでしょうか。
釈:仏は説かれた。大慧よ、阿羅漢とは何か。四禅八定三昧を証得し、三昧の解脱力によって世間の一切の煩悩の苦を明らかにし、全ての一念の無明煩悩を断じ、自心の妄想念に実体なきことを知る。故に心は一切の妄想念を離れ、妄想念が生じない。これを阿羅漢と称する。大慧が仏に申し上げた。世尊よ、三種の阿羅漢について説かれましたが、今説かれるのはどの阿羅漢でしょうか。無余涅槃に向かい寂静解脱道を得た阿羅漢でしょうか。それとも菩薩摩訶薩が衆生を度する方便として意図的に示現した阿羅漢でしょうか。あるいは仏が衆生を教化するために示現した阿羅漢でしょうか。
原文 :仏は大慧に告げた。寂静一乗道を得た声聞である。他ではない。他の者とは、菩薩行を実践する者と、仏の化現である。巧みな方便と本願の故に、大衆の中で受生を示現する。仏の眷属を荘厳するためである。大慧よ。妄想念の存在する所で種々の説法を行う。果を得、禅を得ると説く。禅に入る者は禅定を修める。全てを遠離する故に、自心現量を得ることを示現し、果相を得て、これを得果と称する。
釈:仏は大慧に告げられた。今説くのは寂静解脱道に向かう阿羅漢である。彼らは速やかに解脱を得んと四禅八定を修行し、禅定力によって解脱を得て無余涅槃に入る。他の二種の阿羅漢、菩薩行を行う阿羅漢や仏の化現たる阿羅漢を説くのではない。これらは権巧方便として阿羅漢行を示現するもので、菩薩と仏の本願力の故に、大衆の中で阿羅漢の身分として受生を示現する。仏の眷属を荘厳するためでもある。
大慧よ、仏菩薩は衆生の妄想念が存在する所で種々の説法を行う。このように修行すれば阿羅漢果を証得できると説き、このように修行すれば四禅八定を証得できると説く。禅定を修めれば禅定に入れると。これらもまた実体なき妄想念に属し、幻化して生じない相である。全て遠離すべきものである(真実に入るためには)。諸仏菩薩は大智慧を開くことを示現し、自心現量の境界を湧現させ、初果から四果に至る相貌を得ることを示現する。名相を立てて得果と称するが、実際には果も得果者も存在しない。全て妄想念である(ただ自心の不生不滅なるものこそ妄想念にあらざる)。
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