衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年07月14日    日曜日     第3 回の開示 合計1693回の開示

種子と心所法の関係

心所法とは心の運行する行相、すなわち心の状態、心念、心行、善心、悪心、不善不悪心、定心、散乱心、智慧心、愚痴心、無明心などであり、その範囲は極めて深遠広大であります。これらの識心の行相が現れる時、第八識は常に随時随所に記録収蔵し、種子となります。ここで言う種子とは業種を指し、七大種子ではございません。

身口意が運行する際、七つの識の心行心所法は全て第八識に記録され、業種となります。第七識である意根が六識と共に運行しない場合、意根の心所法は依然として業種となり得るでしょうか。

意根単独の呪詛や毒誓を立て、実際に被害を受ける者がいる場合、これは業種となり得るでしょうか。意根が親族の夢中に現れて救いを求めたり、怨敵の夢中に現れて脅したり、亡くなりゆく者に面会を求めたりするなど、これらは全て業種となり得るでしょうか。無想定滅尽定において、意根の心行(例えば入定時間の長短)は業種となり得るでしょうか。無想天の天人の入定状況は業種となり得るでしょうか。

昏迷状態で六識が無い場合、この状況は業種となり得るでしょうか。果報に属するでしょうか。一日十数時間睡眠する時、六識が無い状態は業種となり得るでしょうか。果報に属するでしょうか。天人は胎生を受ける必要が無く、人間は必ず胎生を受けますが、胎生は果報に属するでしょうか。業種となり得るでしょうか。胎生期間の長短は果報に属するでしょうか。業種となり得るでしょうか。意根が如来蔵と共に極楽世界に至り蓮華宮殿を造ることは、業種となり得るでしょうか。これは果報でしょうか。

一晩眠り、朝目覚めてある事柄を理解し、一つの道理を悟りました。この一晩の意根の思想活動は業に当たるでしょうか。種子を宿すでしょうか。果報はあるでしょうか。もし意根が一晩中念仏を唱え、呪文を誦し、仏経を読む、あるいは一晩中座禅に励んだ場合、これも修行に属するでしょうか。座禅によって結果を生じ得るでしょうか。もし意根が夜中に人と仏法を論じたなら、後に智慧を増すことが出来るでしょうか。もし夜中に観世音菩薩を訪ね法を問い、菩薩が忍耐強く解答され、目覚めた後仏法の甘露を得られるでしょうか。もし重病にかかり夜中に仙人や菩薩を訪ね薬を乞い、服用後翌日病が癒えたなら、これは果報でしょうか。業種に収蔵されるでしょうか。以上の諸状況、様々な心行は全て業であり、業種に収蔵され、必ず果報を伴います。

十二因縁法の最初の連鎖:無明縁行。意根の最初の無明は業種ではございませんが、意根が無明によって心を起こし外に攀縁し、何らかの法を明らかにせんと欲する時、如来蔵は随順し、共に宇宙器世間を造り、その後各人の如来蔵が五陰身を造ります。業行が現れ、その後業種が生じるのであります。

——生如法師の開示
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