衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年10月23日    火曜日     第3開示 合計940開示

《大乗顕識経》講義

原文:過去・現在・未来にわたり、照らし了えて障りなし。これ大那伽(ナーガ)の如く、仏の教えの如し。なすべきことをなし終え、大いなる重荷を捨て、己が利益を得、流転を断じつくす。生死には苦あり。正しい智慧の力をもって、善く衆生の心の趣くところを知る。かくの如き大声聞衆、長老舎利弗を上首とす。また無量の菩薩摩訶薩衆、ともに会に集いたり。

仏の説かれた苦には、苦苦(くく)、行苦(ぎょうく)、壊苦(えく)の三種がある。天人には苦苦はないが、なお行苦と壊苦がある。なぜならば、彼らのその楽は永久のものではなく、留めておくことができず、いずれは消え去るからである。このような苦を「行苦」という。楽の感受が消え去ることを「壊苦」という。特に臨終の際には、天人に五衰相現(ごすいそうげん)が現れる。一に身体臭穢(しゅうえ)、二に花冠萎謝(いしゃ)、三に衣落塵埃(えらくじんあい)、四に両腋汗出(りょうえきかんしゅつ)。天人の身体は臭穢(しゅうえ)難聞(なんもん)となり、近づく天人もおらず、皆が避けて遠ざかる。天上の宝座に坐ることができず、頭上(ずじょう)の花冠も枯れ萎む。もともと衣服は清浄で塵ひとつ落ちなかったが、今や衣服には塵埃がつき、両腋(りょうえき)にも汗の臭いが生じる。これらの現象が現れた時は、天人の命がまさに終わろうとしている証であり、苦しみを受けるところへ赴くことを示す。これを天人の「五衰相現」という。この三界における生死の苦は、阿羅漢(あらかん)はすでに断じ尽くしており、未来において再び生死の苦受(くじゅ)を受けることはなく、三界に生を受けることはない。

「正しい智慧の力をもって、善く衆生の心の趣くところを知る。」阿羅漢は苦・集・滅・道の四聖諦(ししょうたい)の法を修行し、解脱(げだつ)の智慧を得て、一切智(いっさいち)を具足する。この智慧をもって、衆生の心行(しんぎょう)が果たしてどこに向かっているかを、ありのままに観察することができる。衆生が貪り喜び楽しむ法(ほう)を見て、衆生が命終わって六道のいずれの道に趣くかを知ることができ、また衆生が解脱を得て無余涅槃(むよねはん)に入ることができるかどうかをも知ることができる。大多数の衆生の心は三界の世間法(せけんぽう)に貪着(とんじゃく)しており、未来において世間法の束縛を脱することはできず、ことごとく六塵(ろくじん)の束縛を受け、六道に趣き、世俗の五陰(ごおん)に趣き、六塵(色・声・香・味・触・法)に趣き、生死輪廻を出ることはない。

この大会の中において、声聞衆は舎利弗(しゃりほつ)を首とし、長老は阿羅漢に対する尊称である。すでに四果阿羅漢(しかあらかん)を証した人を大声聞衆という。長老舎利弗は彼らの中で智慧第一であるため、舎利弗は声聞衆の首位に居る。無数の菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)が大会の中に列なり、大声聞衆の後ろに位置する。これは菩薩摩訶薩には在家衆(ざいけしゅ)が多く、出家衆(しゅっけしゅ)の中には比較的少ないことを表している。仏在世の時は出家衆を首としたため、先に出家衆を表し、次に在家衆を表すのである。声聞衆の弟子と菩薩衆の弟子がともに世尊の説法の法会に集い、世尊の教えを聴聞している。

——生如法師の開示
前へ前へ

大乗顕識経解説

次へ 次へ

知ることと証得との間の距離は想像を絶します

ページトップへ戻る