原文:過去・現在・未来にわたり、妨げなく照らし明らかにする。これが大ナーガである。仏の教えの如く、なすべきことはすでに成し遂げ、重き大担を棄て、己の利益を得、流転を断じ、生死の苦しみを有する。正しい智慧の力をもって、衆生の心の趣くところを善く知る。かくの如き大声聞衆の中、長老舎利弗を上首とす。また無量の菩薩摩訶薩衆、ともに会に集い在り。
仏の説かれた苦には、苦苦(くく)・行苦(ぎょうく)・壊苦(えく)の三種がある。天人には苦苦はないが、行苦と壊苦は依然として存在する。彼らの楽しみは永久ではなく、留めておくことができず、いずれは消え失せるからである。この種の苦を「行苦」という。楽の感覚が消え失せることを「壊苦」という。特に臨命終時には、天人に五衰相現(ごすいそうげん)が現れる。一に身体臭穢(しゅうえ)、二に花冠萎謝(いしゃ)、三に衣落塵埃(えらくじんあい)、四に両腋汗出(りょうえきかんしゅつ)。天人の身体は臭穢を放つようになり、近づこうとする天人は一人もおらず、皆が避けて遠ざかる。天上の宝座に座っていられなくなり、頭上のかんむりも枯れ萎む。本来は衣服が常に清浄で塵一つ落ちなかったが、今や衣服に塵が付き、両脇にも汗の臭いが生じる。これらの現象が現れた時は、天人の寿命がまもなく尽き、苦しみを受ける場所へ赴くことを示す。これを天人の「五衰相現」という。この三界における生死の苦しみは、阿羅漢(あらかん)がすでに断じ尽くしており、未来において再び生死の苦しみを受けることはなく、三界に生を受けることはない。
「正しい智慧の力をもって、衆生の心の趣くところを善く知る。」阿羅漢は苦・集・滅・道の四聖諦(ししょうたい)の法を修行し、解脱の智慧を得て、一切智を具足する。この智慧をもって、衆生の心の行いが結局どこに向かっているかをありのままに観察することができる。衆生が貪り喜ぶ法を見て、衆生が命終わった後に六道のいずれの道に趣くかを知ることができ、また衆生が解脱を得て無余涅槃(むよねはん)に入ることができるかどうかも知ることができる。大多数の衆生の心は三界の世間法に貪着しており、未来において世間法の束縛から逃れることはできず、すべて六塵(ろくじん)の束縛を受け、六道に趣き、世俗の五陰(ごおん)に趣き、六塵(色・声・香・味・触・法)に趣き、生死の輪廻を出ることはない。
この大会の中において、声聞衆は舎利弗(しゃりほつ)を首とし、長老は阿羅漢に対する尊称である。すでに四果阿羅漢を証した人を大声聞衆といい、長老舎利弗は彼らの中で智慧第一である。故に舎利弗は声聞衆の首位に居る。無数の菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)が大会の中に列なり、大声聞衆の後方に位置する。これは菩薩摩訶薩の多くが在家衆(ざいけしゅ)であり、出家衆(しゅっけしゅ)の中には比較的少ないことを示している。仏が在世の時は出家衆を首としたため、まず出家衆を表し、次に在家衆を表すのである。声聞衆の弟子と菩薩衆の弟子がともに世尊の説法の法会に集い、世尊の教えを聞いている。
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