業が現前した時、それは意根(マナス)が造作し、一切を制御しており、意識に弁解の余地すら与えずに事が起こります。しかし、事が過ぎ去った後、誰が後悔しているのか?
事が終わった後、意識が真っ先に後悔します。なぜなら意識は自らの身・口・意の行いを観察分析し、正しいか正しくないかを知ることができるため、後悔するのです。意識が後悔する内容は、意根も同時に了別できます。もし意根が意識の後悔を認めるなら、自らが先ほどの身・口・意の行いを悔い改め、その後は意根が身・口・意の行いを改めることが可能になります。もし意根が意識の後悔を認めないなら、意根は後悔せず、これまで通り自らの身・口・意の行いを変えず、意識の後悔は本来あるべき役割を果たせず、やはり意根の習気に従うことになります。
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