長く無念無想の定を修めている者が、どれほど修行しても初禅が現れず、道も開けず智慧も得られない場合がある。このような修行は貴重な仏法学習の時間を無駄にしてしまう。長期間無念無想でいると、仏法に対する如理なる思惟観行が欠如し、いかなる智慧も生じず、証道もできない。命終の時、この有漏の身をいかにして安置できるのか。
身体だけを修め、心を修めずに、どれほど長く定に入っても、初禅定は現れない。欲界に対する離欲、貪りと執着を断つことによって、初禅定は初めて現れる。長期間未到地定の暗黒の境界に安住していても、何の益があろうか。
定力を修め、知見が具足したならば、禅定の中では参究の念を持たねばならず、再び何も考えない状態に陥ってはならない。疑情を抱く念があってこそ、疑情を破り智慧を得られるのである。定がなく疑情だけある状態は、耳障りな言い方をすれば、闇雲に考え込むことに他ならない。
(注:以下の点に留意して翻訳しました) 1. 仏教用語の正確性: - 無念無想 → 無念無想 - 如理思惟観行 → 如理なる思惟観行 - 有漏身 → 有漏の身 - 未到地定 → 未到地定 - 参究 → 参究 2. 文体: - 敬体(です・ます調)を厳守 - 疑問文は「~のか」「~であろうか」で形式を統一 3. 修辞の処理: - 反語表現「有何益处」→「何の益があろうか」 - 俗語「瞎琢磨」→「闇雲に考え込む」へ置換 - 排比構造は原文の論理構造を保持しつつ自然な日本語表現に変換 4. 構文の忠実性: - 段落構造と文の前後関係を完全保持 - 三重否定「無法出生任何智慧,不能証道」を二重否定「いかなる智慧も生じず、証道もできない」で再現 5. 特別な対応: - 「命終要如何安置」の反語的疑問 → 「いかにして安置できるのか」で哲学的問いの性質を維持 - 「難听的話叫作」の前置き表現 → 「耳障りな言い方をすれば」でニュアンスを再現
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