衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年08月06日    火曜日     第5開示 合計1781開示

修行者は自心を観照することを習慣とすべきである

念そのものは識心の作用であり、心所法である。念を発見することは、識心が心所法を発見することであり、これが反照である。聡明な人は皆、反照に慣れるべきであり、これが反照であることを自覚しない。反照に慣れた人には自制力があり、自らを省み、自らを督励し、自らを管理し、自ら成長することができる。すべてが自動的で自覚的であり、人の監督や指導を必要としない。こうした人は指導者に適しており、少なくとも人に指導される必要はない。

仏法を学び修行する者は、覚った人であるべきであり、なおさら常に自らを反照し、内心を照らし返し、日に三度自らを省みるべきである。そうして初めて次第に過ちを改めて新たになり、煩悩を調伏できる。

このようにすれば、自らの心に仏の念が多いか雑念が多いかは明らかであるべきで、反照は労力を要しない。鍵は習慣にあり、良好な習慣を養えば、理にかなって自然にできるようになる。

もし自らを反照する習慣がなければ、自身の身・口・意の行いが法にかなわない面を発見できず、そうすれば自らを修正し、変え、高めることはできない。

(注:主要术语处理) ・反观 → 反照(仏教用語としての「観照」の意を踏まえた訳) ・识心 → 識心(唯識系の用語) ・心所法 → 心所(仏教心理学の正式術語) ・降伏烦恼 → 煩悩を調伏する(仏典における定型表現) ・身口意行 → 身・口・意の行い(三業の概念を明確化)
——生如法師の開示
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