法に依るとは、仏法本来の真実の相を純粋に依りどころとして信受することでございます。法の正邪を如実に判別し、正しきは依りどころとして修学し、誤りは避けて学ばず、さらに同修の学侶に伝え合うべきです。法の正邪を判別できるならば、人の名声に特に注目せず、人を論ぜず、ただ法義に専念すべきです。法義が真に正しければ、作者が波旬と記されていても気にせず、法義に邪見が多ければ、釈迦仏の名が記されていても関心を抱くべきではありません。
真に人に依らず法に依って無上の法を修学しようとする方々よ、もし経典に波旬の名を記して波旬の著作とし、波旬の説いた法に仏陀の名を冠して経典としたならば、その内容をいかにお判じになりますか。これらの法義をいかに対処されますか。もし全ての文章の著者名を混乱させ、あるいは無名氏と記したならば、これらの文章をいかにお取り扱いになりますか。
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