問:行為を繰り返し行い、習慣化させることで、無意識の習慣こそが意根の「知」であるということでよろしいでしょうか?
答:繰り返し、さらに繰り返すことです。禅定がなければ、何度繰り返しても、意根が反復した内容に対して効果的に思考・思惟しなければ、依然としてその所以を理解できず、証得することはできず、真実の知に至ることはありません。禅定がある時は反復する必要がなく、法義が直接意根に届き、意根自身に思惟させます。いつかは思惟によって理解する時が来るでしょう。それがすなわち証得です。
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