菩薩の六度のうち、その一つは忍辱度である。忍辱を修めるのは何のためか。心念を降伏させるためだという人もいれば、瞋恚心を降伏させるためだという人もいる。相を破るためだという人もいれば、福を積み業を消し自我を調伏するためだという人もいる。相を離れ心を無所住にするためだという人もいれば、衆生に恒順するためだという人もいる。慈悲心を養い育てるためだという人もいれば、般若智慧を開導し引き出すためだという人もいる。他人の侮辱を忍び無我行を修めるためだという人もいれば、四相を破るためだという人もいる。これらの説はどれも正しい。総合的に言うならば、より全面的になります。
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