意根は十二処十八界を遍く縁り、あらゆる法が生じるには意根という縁が必要である。如来蔵には意根という縁がなければ、いかなる法も直接生じることはできず、意根を除いてはならない。六根には眼根・耳根・鼻根・舌根・身根が含まれるが、この五根は意根の縁がなければ全く生じえない。六境には色・声・香・味・触・法が含まれるが、意根という縁がなければ、如来蔵は全くこれらを生じることができない。
では、身根などの五根は最初にどのように生じたのか。意根が如来蔵と共に受胎して初めて、五根が生じたのである。出生後、五根のあらゆる状況は、意根が如来蔵に依って全て了知する。状況が特殊でやや深刻な場合、意根では処理できず、六識が生起して分別・処理を行う。重要でない一般的な事柄であれば、六識は生起せず、意根自身が知るだけで十分である。色声香味触法の六境の境界についても同様に、意根は如来蔵に随って全て接触できる。もし分別・処理が必要であれば六識が生起するが、詳細な分別・処理が不要であれば六識は生起せず、六識は境界を知ることができない。
予期せぬ状況とは、意識の外において業の力が急に現れ、六識が生起して分別する間もないことを指す。意根が何を知っていても無駄であり、いかなる事柄も処理できない。『楞厳経』には「意根は黙して一切の法を容れる」と説かれている。この「一切の法」の範囲は明確に定められており、例外は存在しない。
0
+1