衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2019年08月09日    金曜日     第6開示 合計1799開示

いかなる法の出生にも意根という縁が必要である

意根は十二処・十八界を遍く縁とし、いかなる法が生まれるにも意根という縁が必要です。如来蔵 (tathāgatagarbha) は意根という縁がなければ、いかなる法も直接生み出すことができません。意根自身はその例外です。六根には眼根・耳根・鼻根・舌根・身根が含まれますが、この五根は意根という縁がなければ、そもそも生まれることができません。六塵には色・声・香・味・触・法が含まれますが、意根という縁がなければ、如来蔵はそもそも生み出すことができません。

身根などの五根は最初はどのように生まれるのでしょうか。意根が如来蔵とともに胎内に入ってこそ、五根が生まれるのです。生まれた後は、五根のいかなる状況についても、意根は如来蔵に依ってすべて知っています。もし状況が少し特殊で深刻なものであれば、意根では対処しきれず、六識を生じて了別と対処を行います。重要でなくさほどでもないことであれば、六識は生じず、意根自身が知っていればそれでよいのです。色・声・香・味・触・法の六塵の境界も同様で、意根は如来蔵に随ってすべてに触れることができます。了別と対処をしようとするときにのみ六識が生じ、細かい了別と対処が不要であれば、六識は生じず、六識は境界を知ることができません。

意外な状況というのは、意識の外にあるもので、業力があまりに速くやって来て、六識を生じて了別する間もない場合です。意根が何を知ったところで役に立たず、神様はいかなる事柄も対処することができません。楞厳経の中で、意根は一切の法を黙して容れる(意根は黙って一切の法を容受する)と説かれています。この一切の法の範囲はすでに定められており、例外はありません。

——生如法師の開示
前へ前へ

如理修行する時、心はすでに転変し始める

次へ 次へ

何人が三悪道の業を免れることができるか

ページトップへ戻る