衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年08月21日    水曜日     第1開示 合計1850開示

眼識と意識、どちらが先に生まれるのでしょうか。

見えているのに見ていない時、目の前に明るさがあることを知っているかどうかを観察してみる。もし目の前に明るさがあると知っているなら、眼識による了別があり、意識による非常に微細な了別がある。意識は注意力の一部、あるいは大部分を他の重要な問題を思考するために分散させるため、意識の了別は非常に局所的であり、それによって見えているのに見ていない現象が生じるのである。色を見る時、まず明るさや影像があることを知り、その後で物体の細かい相を知るのかどうかを観察する。もしそうなら、眼識が先にあり、後に意識があることを示している。現量観察がなく、定力が弱く、さらに理論が誤っているなら、いかなる方法でも正しい結論を導き出すことはできない。

ある法を了別し始めたばかりの時は、五識が先に生じるのか意識が先に生じるのかという問題に関わるが、両方が生じた後は、どの識が先に生じるかという問題には関わらなくなる。目を閉じて再び開ける時は、眼識が先か意識が先かという問題に関わる。たとえ目を閉じていても、瞼を通してまだ明るさを感じるなら、それは眼識が滅しておらず、依然として顕色を了別できることを示している。眼識は顕色のみを了別し、色塵上の色彩を了別する。これは『瑜伽師地論』第一卷に記述されている。

五識が了別するのはすべて、如来蔵が外五塵に基づき、外五塵上の四大微粒子を摂取し、後脳の勝義根に伝導されて顕現された四大微粒子、つまり比較的粗い色法の部分であり、如来蔵が接触し了別する外五塵の本質境に近い。眼識が色を見るのは、開始時のみ再び作意を必要とする。例えば部屋に多くの物がある場合、眼識が一箇所から別の箇所に移り、見える物品が変わる時、眼識は再び作意を必要とし、意識も再び作意を必要とする。したがって見える色が変化する時は、眼識と意識の生起の問題に関わる。しかしどのような場合でも、眼識が先に生じ、刹那の後に意識が生じる。色を見る時はいつも、眼識が先に朦朧とした色彩を見て、それが空なのか物があるのかを了別し、後に意識が形態・大小・長短・方圆や内容・内包などを了別する。しかし睡眠から覚醒する時は、必ず独頭意識が五俱意識に転化して先に生じ、その後で五識が後に生じる。覚醒時の順序とは逆転している。

凡そ粗い部分、ぼんやりとして朦朧としたものはすべて、五識が先に了別する内容であり、細かい内容は意識が後に了別する。五識と意識の連結は極めて迅速であり、禅定のない者は全く識別できない。そのため多くの人は、たとえこれらの内容を教えられても、依然として観行できず、実証することができず、他人の理論を暗唱するだけである。六識はそれぞれ色法を見る度に再び作意を必要とし、意根はさらに先に再び作意を必要とし、絶えず作意を続けることで初めて六識の作意と了別を導く。これらの細法は、禅定がなければ全く観行できない。

音を聞くのは意識と耳識が共に聞くのであり、耳識だけでは音を聞くことができない。坐禅中に突然音を聞く時は、耳識が先に生じて了別し、後に意識が了別する。耳根が先に振動を感じ、後に意識が何の音かを知る。耳識が音を聞く時は、まず振動音が耳根に伝導され、鼓膜を震わせる。これが耳識の了別する粗い音である。その後、意識が音の高低・遠近・大小・内包などの細かい内容を了別する。これは耳識が意識に先立って了別し、意識に先立って生じることを示している。

——生如法師の開示
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