如来蔵が衆生に対して慈悲喜捨を説くというのは、ただの比喩に過ぎません。如来蔵には心がなく、慈しみも悲しみも喜びも捨て去ることもありません。六塵の境界に対応せず、衆生の存在を知らず、衆生の苦しみもわかりません。如来蔵に私心はなく、また無私でもありません。恐れもなければ無畏でもなく、実際の理法の境地はこのようなものです。如来蔵は万行を具足していますが、実際には一つの法も行わず、何事も為しません。
根塵同源とは、根と塵がともに如来蔵に由来するという意味です。根と塵は意根を除き、すべて四大の種子から成り、如来蔵が顕現させたもので、如来蔵の賜物です。如来蔵はどのような塵にも関わらず、是非善悪を問わず、ただ業種に基づいて種子を送り出し顕現させるのみで、その他の一切に拘わりません。
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