衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2019年08月21日    水曜日     第3 回の開示 合計1852回の開示

鏡の中の影と鏡はどのような関係ですか?

意識が色法塵に作意する時、識種子は色法塵に流注する。意識が声法塵に作意する時、識種子は声法塵に流注する。意識が同時に様々な塵境を了別する際には、絶えず塵境を切り替えて作意し、あるいは同時に作意するが、禅定がなければ心は乱れる。二つの法塵の了別に主従がある時、主要な面には多く作意し、副次的な面には少なく作意する。意識が作意を切り替えて了別する時には知と不知が生じるが、同時に作意して了別する時には全ての塵境を認知し、知の多少の差が生じる。

目で色を見る時、同時に声を聞くことができないか? 同時に香りを嗅ぐことができないか? 同時に触覚を感じることができないか? 同時に歩くことができないか? 同時に話すことができないか? 同時に回想することができないか? 全て可能であるが、了別には主従が必要で、明瞭なものと不明瞭なものが生じる。作意の切り替えが極めて速い時、識心は了別が断続的であることを感知できず、あたかも映画を見るかのようである。意識の識種子は六塵に同時に生起し得るが、それは河川の分流に相当し、勢力が弱く了別が不明瞭で智慧が生起せず、これが定力のない状態である。定力が充分に優れている時、一心多用が可能で、意識はあらゆる面で強力に働き、了別は全て明瞭で智慧を伴う。

意識は二つ三つの作意心所を同時に現出し、五遍行心所法が二つ三つの法上で運行することも可能で、何ら問題ない。複数の作意心所が現出し得るが、勢力は弱まり、了別力は強くない。特に微細な了別を必要とする場合、その力は弱まる。意識は声法塵上、色法塵上に同時に作意し、触法塵上、香法塵上、味法塵上にも作意し、識種子を同時に流注させ得る。これら全てを適切に配慮し明瞭に了別するには、相当に熟達した技巧と優れた禅定が必要である。

例えば曲芸師は、足下のローラーを平衡させつつ、頭で水杯を支え、手では輪を回転させ、幾つもの動作を調和させ統制するためには一定の訓練が必要である。訓練は単に六識を訓練するだけでなく、実際には意根を訓練し、意根が全ての動作を調整し統轄することを可能にする。意識の識種子が同時に流注するだけでなく、意根の識種子も幾つもの法上に同時に流注し、河川の分流の如くでありながらその勢力を損なわず、高度な協調と集中を要する。故に集中とは単に一つの法に注意力を集めることではなく、複数の法に同時に専心し、全てを配慮し掌握することを指すのである。

——生如法師の開示
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