衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年10月01日    月曜日     第1 回の開示 合計857回の開示

煩悩と病は心の幻化です

我々の心識の虚妄性を仔細に思惟し、世間の一切の法の生滅する幻妄性を細心に観察すれば、内心の攀縁は減少し、幻想や乱想も減退する。世人の精神的な病も減少し、神経衰弱や不眠も軽減され、様々な病症も消え去る。病は何処から来るか。一つは過去世の業行の果報、もう一つは現世の煩悩から妄想されるもの。衆生は皆自ら苦を受ける理を求める。理が通じれば心に煩悩なく、理が通じなければ煩悩重なり、苦受は量り知れず、皆自ら招くもので他者から与えられるものではない。全ての病は虚妄にして幻化の如く、来処なく、病が滅しても滅処なし。これ幻妄なるが故なり。これらの理を悟り通せば百病を治し、生理医師も心理医師も要せず、一切の病障は幻の如く生滅す。仏法が通じれば万法皆通じ、仏法を学び得れば一切の世間法は悉く通達する。

世間人の身体の病、心理の病、家庭の一切の煩悩、仕事や事業の悩み、これら種々の事柄は、皆自らの無明業障に絡め取られた結果である。仏法を学ばぬ者はこの理を通ぜず、学びたる者も未だ明らかにせず、深細なる思惟と観行を行わぬ故、自らの無明に覆われる。真に世間の真理を悟らんとすれば、まず己を明らかにすべし。その後万法は皆通ず。故に世間法が通ぜざるは心に結縛あるが故なり。解くべきは自らの心の結び目であって、外の境界を解決するにあらず。

外界の色塵が煩悩を起こさせ心を乱すと嘆くことなかれ。むしろ自らの心が何故外界の色に引き付けられ、捉えられるのかを反省すべし。何故我々は外境に執着せねばならぬのか。外境が我々を束縛し執着させるのか。否、自らの心が敢えてそれを把捉し或いは排斥せんとする故、境界に絡め取られるなり。本来は境界を把捉せんとしたが、却って境界に把捉される結果となる。五欲六塵は我々を縛りて生生世世に貧苦と輪廻の苦しみを受けさせ、かくして万法は我々を六道輪廻に縛り付け、この煩悩の生滅の大海に繋ぎ止めるのである。

——生如法師の開示
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