宇宙の中に存在する外六塵は、全ての衆生の如来蔵が共同で生じ、共同で保持するものであり、全ての如来蔵が四大種によって維持されています。四大種は刹那刹那に生じ、刹那刹那に滅するため、外六塵もまた刹那生滅するものです。外六塵の境界は最も根源的な色法であり、実種子によって構成された比較的実在的な色法で、厳密に言えば本質境と呼ばれ、如来蔵によって了別されるものであり、意根は了別できず、六識はさらに了別できません。しかしながら、本質境もまた刹那刹那に生滅変化しています。四大種が生滅変異する過程において、四大種は外へ発散し、各如来蔵の中へも拡散するため、我々は物質の周囲に磁場やエネルギーを感じることができるのです。
発散した四大種は如来蔵によって摂取され、摂取された後に初めて外六塵と呼ばれます。如来蔵はさらに五根を通じて外六塵上の四大種を勝義根へ伝導します。五根とは身体の各種神経システムを指し、例えば眼根には硝子体や神経伝達システムがあり、眼根の外部にある物質から発散される四大微粒子を伝達し、後頭部の眼の勝義根まで到達させると内色塵が形成されます。内色塵が眼勝義根に落ちると、根塵が相互に接触します。実際、外色塵と内色塵はともに意根が最初に了別し、了別後に眼根が具体的に認知しようとすると眼識・意識が生じ、意根が具体的認知を望まなければ我々はその種の色塵を知覚できません。五塵と共存する法塵は、五塵と同時に伝達され、色法塵は色塵と共に眼根を通じ、声法塵は色塵と共に耳根を通じ、香法塵は香塵と共に鼻根を通じて同時に伝達され、味法塵と触法塵も同様です。
これは勝義根内の法が極めて多く、意根が了別を望まない場合、六識は了別できず、五根から伝達された法を我々は知覚できないことを意味します。神経系統の伝達に遮断や誤差がなければ、形成された内六塵は外六塵と幾分類似するか、あるいは極めて類似します。なぜなら内六塵は外六塵の影であり、外六塵は本質境の影であって、鏡に映る影のようなものだからです。我々が分別する内六塵は鏡の影の如く、分別できない外六塵は鏡の外側の実物に相当し、その実物は内六塵よりも幾分真実性を帯び、より初期の六塵本質境に適合しています。本質境は実在の四大で構成されており、意根は接触できません。如来蔵が鏡の如くその本質境上の四大を摂取し幻化した後に初めて、意根は縁することができるのです。
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