衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年08月28日    水曜日     第2 回の開示 合計1875回の開示

このような類推は比量にあらず

世俗界には一つの類比があります。同じ種類の事物において、その一つ或いは一部を証明すれば、同類のすべてがそうであると証明され、全てを証明する必要はありません。これは世俗界の規則であり、仏法も同様に適用されます。人類が行うサンプル調査は、一部を調査することで全体を証明します。これは比量でしょうか。比量ではありません。

自らの五蘊を観行し、自分の五蘊が苦・空・無常・無我であることを証明すれば、他人の五蘊も同様であり、すべての衆生の五蘊も同様であると分かります。これは比量でしょうか。比量ではありません。例えば私が禅を参じて悟りを開き、自らの第八識を証得すれば、他人の第八識も同様であり、すべての衆生の第八識も同様であると知ります。これは比量でしょうか。比量ではありません。幾何学や数学など学術上の実験と推論では、常にこのような方法で証明します:これを以て類推す。文章を書き事理を分析する際も、この「以類推す」という語を用い、後続のものはこれと同じであるため、再び証明推論する必要がないことを示します。これが同類の結論です。これは比量でしょうか。比量ではありません。

一切の事理結論の正しさを証明する際、時に現量から出発せず、非量から出発し、思惟考証を経て、最終的に現量の結論を導きます。非量も多く大きな有用性があります。頭脳が優れた者は、でたらめな考えにも道理があれば、それはでたらめな考えとは呼ばれず、頭の回転が速いと言われます。

頭脳の鈍い者は、どれだけ現量のデータを与えられても、真実正確な現量の結論を導き出せません。このような者は大勢います。数え切れぬ苦痛を経験しても、なお苦を知らず、内心の思想が麻痺しているのは、実際には愚痴です。愚痴な者は九十パーセント以上を占めています。無数の挫折を経験しても回頭を知らず、なお行き止まりに突き進み、一本気の愚かさです。苦・空・無常・無我は明らかに現量であり、これほど多くの現量データが証明しているのに、全ての人ははっきり見えず、なお仏法を学び、思惟観行しても観行できません。これを愚痴と言います。五欲六塵が明らかに無常生滅変異し、捉えられず、執着できないという事実の真相は、すでに現量として現れています。明々白々なのに、無数の人は理解できず、自分を制御できず、なお死に物狂いで執取し、手を緩め休むことを許しません。憐れむべきであり、また愚痴です。

——生如法師の開示
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