波旬の福徳は非常に大きく、寿命も極めて長く、劫数を論じます。彼の福徳は悪業を造ることによって消耗し尽くし、寿命が尽きると直ちに地獄に堕ちます。彼の寿命が存在するこの長い期間において、彼は必ず最も多くの子孫を擁し、その貪欲を満たさなければなりません。よって衆生が一劫あるいは数劫の間に欲界(三悪道を含む)を離れることができなければ、全て彼の子孫眷属に属し、数劫を経れば彼の管轄外となります。故に波旬は布施行福を好み、また衆生が布施行福することを喜びますが、衆生が修行して解脱を得ることを許さず、禅定を修めることを許さず、他の仏国土へ往生することを許しません。それ以外においては、衆生が何を望もうと彼は関与せず、ただ欲界から出られなければ良いのです。衆生が五欲を好めば好むほど、波旬は歓喜します。欲界にこそ五欲が存在し、五欲に執着すれば当然欲界を出られず、永遠に彼の子孫眷属となるからです。
自らを観察してみなさい。どれほどの心行が波旬の歓喜するところであり、どれほどの習性が魔心魔性に符合し、魔力の加護を得やすいでしょうか。修行に非常に懈怠な者は世俗法の面では順調ですが、修行が勇猛精進に至り一段階上がると、突然不順が生じ魔障が現れます。故に修行の優れた者は業障を修め出し、修行が未熟な者は往々にして順風満帆で障害がありません。真の菩薩は魔の干渉が強まるほど道心が堅固になり、禅定が深まり智慧が増します。魔の擾乱は火に油を注ぐが如く、魔火が燃え盛るほど菩薩は恐れません。
魔王波旬は常にこれらの仏法(大乗法を含む)の薫染を受けています。何もかも理解していますが、証得することはできません。貪欲が熾盛であり、真に修道する意志がなく、まして我見を断じ自らの煩悩を降伏させる考えなどありません。また波旬は大小乗の法理を理解しているため、法を破ることに更に便利な条件を備えており、一般の衆生は彼ほど多くを理解していません。彼が説法すれば、大多数の衆生は崇拝せざるを得ず、その説法に生滅の系縛の法を密かに加えれば、誰も識別できず、それに従って修行すれば魔道に堕ちます。
波旬は頻繁に釈迦仏に会い釈迦仏の説法を聞き、大乗菩薩と接触して菩薩の教えを聞き、阿羅漢と接して阿羅漢の教導を聞いています。彼は仏法上の便宜を占め尽くし、仏法上の善根を種としており、三宝に感謝すべきですが、かえって仏を毀り法を滅ぼす方法を尽くし、衆生を三悪道へ導くという恩を仇で返す者です。波旬は仏陀に対面してもこのような態度で、非常に不敬で蔑視し、阿羅漢に対しても更に軽蔑し、他の衆生に対しては相当な差別と凌辱を加えます。彼の道を阻む者は誰であろうと容赦なく滅ぼし、理屈では計れません。波旬の心量は極めて狭く、些細なことにも拘り、一人も見逃しません。仏さえも彼の管轄外であることを快く思わず、誰かが欲界を離れようとすれば必ず憂い悩みます。波旬のこの期の寿命が尽きれば直ちに地獄に堕ち、地獄から出た後、いつ善根が成熟して悔い改め、真に仏法を修学し正しい道を歩むかは分かりません。彼が真摯に悔い改めた後は、悪業が消滅し、修行はやはり急速に進むでしょう。畢竟、三宝によって彼は多くの善根福徳を種としてきたのですから。
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