衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年08月30日    金曜日     第3開示 合計1886開示

波旬の福業と魔業

波旬の福德は非常に大きく、寿命も非常に長く、劫を単位として数えられるほどです。彼の福德は悪業を造ったことによって消耗し尽くし、寿命が尽きて、その後まっすぐ地獄に堕ちます。彼の寿命が存在するこの長い期間、彼は最も多くの子孫を所有してこそ、その貪心を満足させることができます。したがって、衆生は一劫あるいは数劫の内に欲界(三悪道を含む)から離れることができない限り、すべて彼の子孫眷属に属することになります。数劫の後なら彼はもう関与できません。だから波旬は布施による修福を好み、衆生が布施修福することも好みますが、衆生が修行して解脱を得ることは許さず、衆生が禅定(じょう)を修めることを許さず、衆生が他の仏国土に行くことを許しません。それ以外のことなら、衆生が何をしようと勝手にさせて、彼は構いません。欲界から出て行かなければそれでいいのです。衆生が五欲を好めば好むほど、波旬はますます歓喜します。欲界にこそ五欲があり、五欲を貪れば当然欲界から出られず、永遠に彼の子孫眷属に属することになるからです。

皆さん、自分自身を観察してみてください。どれだけの心行が波旬の歓喜と賛成するところであり、どれだけの習性が魔心魔性に合致していて、魔力の加持を受けやすいものでしょうか。修行が非常に懈怠している人は、世俗法の面ではとても順調ですが、修行において勇猛精進し、一つ上の段階に上がると、途端に順調でなくなり、魔障が現れます。だから修行の良い人は業障を修行によって引き出すことができ、まだ修行が力を得ていない人は、往々にして順風満帆で、障害がありません。真の菩薩は、魔が妨害すればするほど道心がいっそう堅固になり、禅定(じょう)はいっそう良くなり、智慧はいっそう深まります。魔の妨害は、火に油を注ぐようなもので、魔が来るほど火はいっそう盛んになります。菩薩は魔を恐れません。

魔王波旬は常にこれらの仏法の薫染を受け続けており、大乗の法も含めて、何を理解しないことがありましょうか。すべて理解できますが、証得することはできません。彼は貪欲が盛んで、真に修道しようとは思わず、まして我見(ātma-dṛṣṭi)を断とうとは考えず、自分の煩悩を降伏させようともしません。また、波旬はこれらの大小乗の法理を理解しているために、法を破るのにいっそう便利な条件を得ています。一般の衆生は誰も彼ほど理解しておらず、彼が法を説けば、大多数の衆生は彼を崇拝せざるを得ません。そして法を説く中で密かに生死の繋縛之法を加えても、誰にも識別できず、それに従って修行すれば、魔道に堕ちてしまいます。

波旬は常に釈迦仏に会うことができ、釈迦仏の説法を聞き、常に大乗の菩薩と接触し、菩薩の教えを聞き、常に阿羅漢と接触し、阿羅漢の教えを聞いています。彼は仏法における便宜をことごとく享受し、仏法において善根を種みました。三宝に感謝すべきなのに、あらゆる手段を尽くして仏を毀し法を滅ぼし、衆生を三悪道へと導く、恩を仇で返す者です。波旬は仏陀に対してさえこのような態度で、非常に不敬で蔑視しており、阿羅漢に対してはなおさら蔑み軽んじ、他の衆生に対しては相当に差別し凌辱します。誰が彼の道を妨げようものなら、その者を滅ぼそうとし、容赦なく、道理が通りません。波旬の心量は非常に狭く、些細なことでも執着し、一人たりとも見逃しません。仏でさえ彼の管轄の内にないことを喜ばず、誰であれ欲界から遠ざかろうとすれば、彼は憂い悩みます。波旬はこの一期の寿命が終わると、まっすぐ地獄に入ります。地獄から出て、いつ善根が成熟して悔い改めて新たに生き直し、真に仏法を修学して正しい道を歩み始めるかは分かりません。彼が誠心誠意悔い改めた後は、悪業は消滅し、修行もやはり速やかでしょう。何しろ三宝のおかげで彼はそれほど多くの善根と福德を種んだのですから。

——生如法師の開示
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