衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年09月02日    月曜日     第1 回の開示 合計1892回の開示

如来蔵こそが一切法の主宰者であります

如来蔵が対応する法を了別する法は、意根が対応し了別する法よりも多く、意根が対応し了別する法は意識が対応し了別する法よりもはるかに多い。ここに如来蔵が一切の法を生じ出し、あらゆるものを包含していることが示されています。また意根が意識に対する主導性を有し、意根が妄法を主宰し代表する存在であること、そして意識が他縁によって生起し自主性を持たないことが明らかとなっています。

一切の法に対する処理は、表面的にはすべて意識が行っているように見えますが、実際には背後で意根が指揮して処理しており、本質的には如来蔵が七大種子を用いて処理しています。如来蔵こそが一切の法を主宰する存在です。その処理速度において如来蔵には速度がなく、瞬時も法と分離したことがありません。如来蔵が法を処理する際には、第一に業種に基づき、第二に意根の求めるところと法に対する選択に依拠します。

意根は自らが明確に了別できる部分については極めて迅速に処理し、意識が気付かないうちに処理を完了させます。意識は後から知覚する存在であり、例えば色身に生じた些細な変化に対し、意根は直ちに処理を行い、時に意識を利用して処理することもあります。意根が自ら了別し得ない法については意識の了別を利用し、その処理も意識を介して行われます。この場合の処理速度は意識よりも遅くなります。意識単独では何事も処理できず、常に意根に協調して処理するか、意根を補佐して処理するか、あるいは意根を脅迫して処理させます。意根が同意しなければ意識は何も処理できず、意根が意識に欺かれたり強制されたりする場合も排除されません。

——生如法師の開示
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如来蔵の了別は七識の了別とは異なります

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意根は中継点であります

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