六識が存在しない時、他の法も滅することはなく、法が存在する限り、如来蔵は見るのである。第七識の意根は如来蔵の見分であろうか。意根は如来蔵の見分ではなく、意根が存在しない時でも、如来蔵は依然として業種を見ることができる。如来蔵の見る法は意根の見る法よりも多く、意根が見ない法も、如来蔵は単独で見ることができる。無余涅槃においても、如来蔵は依然として法を見、種子を見、五遍行心所法は平常通り運行する。意根と如来蔵の眼は同じではないため、見られる相も異なり、一つは世俗の法相を見、もう一つは世俗ならざる法相を見るのである。
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