実修を行う者に対しては、意根を特に説く必要なく、彼らは自ら実証する。実修しない者には、解悟と証悟の区別を必ず教え、人々が解に満足せず必ず実証するよう伝えなければならない。これは末法の時代の浮ついた衆生に対する特別な配慮である。衆生の心は極めて落ち着きを失い、苦行を厭い、戒律を守らず、禅定を修めようとしない。仮に戒律を守り禅定を修めようとしても、環境的要因により実践できず、観行も実証もできない。ただ日々経典を読み、意識で理解するのみで、ある程度解った段階で、外に向かって自らが証悟したと宣言する。よってこの特殊な時期には特別な法を説く必要がある。特殊な衆生には特別な説法を施すことが、まさに衆生の根機に対応し、衆生の実際的かつ根本的な問題を解決する道なのである。
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