八つの識心は六塵のように具体的な相貌を見ることはできませんが、それぞれ運行する行相(ぎょうそう)を有しております。これは心の行相であり、また心所法(しんじょほう)でもあり、観察と感知が可能であるため、これもまた一つの相であります。七つの識心の運行する行相は第八識が幻化した仮相であり、名付けられた名称に過ぎず、生滅変異するものであって真実ではありません。第八識そのものの運行する行相は法爾如是(ほうにょにょぜ)の存在として、第八識本体に依って存在するものであり、いずれの法から生じたものでもなく、いかなる時も存在し運行しております。無余涅槃(むよねはん)の中にあっても絶え間なく運行し、滅したことは決してありません。
1
+1