異熟識は阿頼耶識が八地の菩薩以降に持つ別称であり、心体における業種を表し、衆生が時を異にし場所を変え、世を隔て種を異にする中で生まれ出ることを可能にします。阿頼耶識には衆生の分段生死の種子が蓄えられ、異熟識には衆生の変易生死の種子、すなわち微細な生死の種子が蓄えられています。
異熟習気は生死流転の習気、無明の習気、煩悩の習気とも呼ばれ、非常に微細なもので、一般的に八地以降の菩薩の無明習気を指し、あるいは初地以上の菩薩の煩悩習気とも言えます。習気が存在すれば生死があり、習気が断ち尽くされれば仏となります。等流習気において、等は相等しいことを表し、流は流転を意味し、同じ識相続の習気、あるいは同じ衆生相続の習気を表します。
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