衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2019年10月25日    金曜日     第2 回の開示 合計1979回の開示

異熟識、異熟習気、等流習気とはどういう意味ですか?

異熟識は阿頼耶識が八地の菩薩以降に持つ別称であり、心体における業種を表し、衆生が時を異にし場所を変え、世を隔て種を異にする中で生まれ出ることを可能にします。阿頼耶識には衆生の分段生死の種子が蓄えられ、異熟識には衆生の変易生死の種子、すなわち微細な生死の種子が蓄えられています。

異熟習気は生死流転の習気、無明の習気、煩悩の習気とも呼ばれ、非常に微細なもので、一般的に八地以降の菩薩の無明習気を指し、あるいは初地以上の菩薩の煩悩習気とも言えます。習気が存在すれば生死があり、習気が断ち尽くされれば仏となります。等流習気において、等は相等しいことを表し、流は流転を意味し、同じ識相続の習気、あるいは同じ衆生相続の習気を表します。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

意根が意識の別境慧から離れるならば、何も為すことができなくなるのでしょうか?

次の記事 次の記事

意根の身体への執着

ページのトップへ戻る