衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年10月25日    金曜日     第3 回の開示 合計1980回の開示

意根の身体への執着

問:人が不慮の事故で指を切断した後、意根の執着によって一定時間内に接合すれば、機能を回復できます。しかし器官や身体の一部が本体から離れた後も、はっきりとした生命徴候(歪んだり跳ねたりするなど)を示すのは、やや理解しがたい点があります。意根はどのようにして離れた器官や身体の部分を活動させ続けるのでしょうか。浮塵根がなくなった場合、意根と如来蔵はどのようにして離脱した器官や切断された肉体を制御するのでしょうか。如来蔵は意根を通じて離れた器官に虚しく種子を送り続けることができるのでしょうか。それともこの動きは無意識の神経反応に過ぎないのでしょうか。

答:離脱直後の器官は身体に付着している器官と同様、意根と如来蔵が共同で維持しています。如来蔵が四大種子を提供して身根の需要を満たし、意根が離れた器官は不要と判断すれば放棄します。そうなると如来蔵は四大種子を送らなくなり、それらの器官は生命活動を失います。

四大種子が器官上で絶えず生成と散滅を繰り返すため、器官には四大の特性が現れます。風の動転性、地の牢固性、水の潤滑性、火の暖性があります。種子で構成された微粒子が絶えず生住異滅を繰り返し、微粒子が絶えず運動変化することで、各種のエネルギーが生じます。例えば運動エネルギー、熱エネルギー、位置エネルギーなどです。

離脱直後の肉片が動くのは、神経組織がまだ伝導機能を保ち、機能が壊死しておらず、意根と如来蔵が共に維持しているためです。意根の執着が強ければ強いほど、肉片の動く時間は長くなります。ある畜生が長く死んだ後、身体が切り分けられ売却されても、肉片がまだ動いている場合があります。この畜生は自らの身体に非常に執着しており、誰がその肉を買ったかを全て知っており、将来必ず復讐します。衆生が集まれば、恩返しや借りを返す者もいれば、怨みに報いる者もおり、その関係は特に複雑で、怨みを持つ者がない人は一人もいません。

——生如法師の開示
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