問:次第に五蘊の無常・苦・非我を観察し、受想行識において再び我見・我所見を起こさなくなった後、さらにどのように向上させることができるでしょうか。その後の方向性は何でしょうか。あるいは、この作為のない寂静の状態をしばらく保てば、自然に「生は尽き、所作すでに作り、後に受くることなし」と自証できるのでしょうか。実践過程においては、定から出て短時間(1~2時間)経つと、すぐに猿のような心が戻り、再び執着や作為を欲してしまいます。この循環を繰り返しているのは、どこか仏陀の教えと完全に接続できていないためではないかと感じています。
答:「自ら証せり、我が生は尽き、所作すでに作り、後に受くることなし」とは四果の大阿羅漢に至って初めて証得できる境地です。我々はまず初果を確実に真実のものとすることが先決です。初果でさえ、前世から我見を断ち切れていない者にとっては非常に困難なものです。
五受蘊の苦・空・無常・無我を観じる際、本当に五受蘊が確かに苦・空・無常・無我であると認めているかどうかを正しく判断することが極めて重要です。これが肝要な点であり、自分で無我と思い込むだけでは真の無我とは言えません。
観行思惟する時は心が清浄に感じられても、定から出て観行しない時、心にまだ「我」が存在し清浄でないなら、真に我見を断じたのではなく、真の無我に至っていない証拠です。その場合は再び観行を続け、工夫を重ねる必要があります。
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