衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2019年10月26日    土曜日     第2 回の開示 合計1983回の開示

多聞の後には如実に観行すべきです

仏は阿難にこう説かれた。「汝は十方如来の十二部経典の清浄なる妙理を恒河沙のごとく記憶し保持するも、ただ戯論を増すのみ。劫を積みて聞き熏習するも、摩登伽の難を免れ離るることはできぬ。劫を歴て如来の秘密妙厳を憶持するも、一日の無漏業を修むるに如かず」

楞厳経のこの一節は、修行者の痛切なる課題を指摘している。ただ意識心における多聞習学に留まり、真実の如法修行を行わないこと。意根を修めずして意識をどれほど修めても解脱は得られぬ。末法の現象はこれよりさらに深刻なり。最も顕著な例は意識の聞熏を実証と誤解し、大いなる誤謬を抱きつつ反省を知らぬことにある。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

如来蔵の四大種子と人体の精・気・神との関係

次の記事 次の記事

それぞれの識における苦受

ページのトップへ戻る