衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年11月02日    土曜日     第2開示 合計2003開示

意識の念は意根の念による結果です

もし意根が法を念じない場合、意識はどのように念じるのでしょうか。意根と念じられる法が接触し、了別しようと考える時、如来蔵は随順して意識を生じさせます。意識は意根の指令に従い、意根が念じる法を了別し念じ続けます。もし意根が法を念じなければ、法と接触せず、了別や造作を望まないため、如来蔵はさらなる念いの行為として意識を生じさせることができず、法を念じる意識は現れません。意根がどの法を念じないかによって、その法は現れず、意識が念じる法は全て意根が念じた結果であり、意根が配置調整した結果なのです。意識は意根との接触縁がなければ生じえず、意根の思心所の決定がなければ生じえません。意識単独では自身の発生や一切の活動を決定できず、主導識ではなく、自在でないが故に、意根の道具として意根の指揮に従うのです。

——生如法師の開示
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禅定を修めるにはどうすればよいか

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