衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2019年11月02日    土曜日     第3 回の開示 合計2004回の開示

禅定を修めるにはどうすればよいか

禅定を修めるには、いくつかの善巧な方法が必要であり、無理に足を組んで座り続けるだけでは成就しません。あらゆる法への攀縁が絶えず、内なる覚観思惟が続き、心が寂静でなければ座り続けることはできず、禅定も生じません。いかにして心を寂静させ禅定を現前させるか。意根の攀縁を減らし、覚観思惟を減らせば、心は次第に清浄に向かい、禅定が生じるのです。

『坐禅三昧経』には多くの修定法が説かれています。禅定を修める前にまず智慧によって一切法の虚妄を認識し、攀縁心を破砕すべきです。攀縁が減れば禅定が現れます。例えば眷属欲ある者は眷属想を破る方法を用い、心中に何の想いもなければ寂静し、心は定まります。国土郷里に執着する者は国土想を破り、心中に国土を想わなくなれば禅定が現れます。貪愛ある者は貪愛を調伏する方法を考え、貪愛なき心は寂静し禅定が現れます。瞋恚ある者は瞋恚を調伏する方法を考え、瞋恚なき心は寂静し禅定が現れます。結跏趺坐する前にまず自心にどの煩悩があり、どの念が巣くっているかを見極め、相応する対治法を用いて自らを説得し、煩悩と妄念が現れなくなれば修定は容易になります。このように智慧によって攀縁心を滅し、心を静めて定に入るのです。

心が調伏され禅定が現れたら、禅定の中で思惟観行し煩悩を対治し、三昧を得て煩悩を滅します。瞋恚の重い者は慈心観を修め(『坐禅三昧経』に具体的な方法あり)、貪心の重い者は白骨観を修め(人を白骨と観じ貪心を滅す)。眷属欲ある者は眷属の生滅・虚妄・不実を思惟観察し、国土想ある者は国土の災難・危脆・不実を思惟観察します。このように定から真実の大智慧が生じるのです。

定慧は相互に促進し補い合います。智慧で世間の無常を観じれば心の攀縁散乱が減り、定に入りやすくなります。自心の結縛を観察し、その不如法を思惟分析すれば、次第に結縛が解け心は静まります。自心の想念を知らねば除くことができず、心は静まりません。智慧で禅定を導き、定を修めた後さらに定中で思惟を深め、より進んだ智慧(三昧)を生じさせます。故に智慧ある者は修定しやすく、智慧なき者は修定困難です。禅定ある者は智慧を得やすく、智慧ある者は禅定を修めやすいのです。

——生如法師の開示
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